【今週はこれを読め! SF編】仮想現実から猿が飛びだす! 冒険SF活劇
文=牧眞司
「みんなあの猿が大好き」
これはブログ「テクスナーク」の見出し。作中に何度かこういうブログやネットニュースが挿入される。
2059年の世界----といっても別な歴史(1959年に英仏が統一された)をたどった先の未来だが----で「あの猿」と言えば"高射砲(アクアク)"マカークに決まっている。
隻眼・葉巻・二丁拳銃がトレードマークのタフガイ。スピットファイア戦闘機を駆ってナチスからヨーロッパを取り戻すため大空を舞う、われらが英雄! 新人パイロットたちは自分の腕と度胸を試すべくこぞってアクアク・マカークと一緒に出撃したがり、遅かれ早かれ命を落とすはめになる。呆れたことに、今日は鼻にそばかすをつけた十六歳のお嬢ちゃんが志願してきた。名前はミンディ・モリス。アクアク・マカークが「空戦の経験があるか?」と訊くと、「訓練機で百時間の経験があります」だと。はっ、訓練機で、百時間って!
アクアク・マカークはふと酒を飲む手を止めて、ミンディに尋ねる。「おまえ、ここにいるなかで本物は自分だけだと感じたことがあるか。ほかの全員はただの見せかけだって」
なにげなく発したこの疑念は実は正鵠を射ていた。そう、アクアク・マカークがいるのはゲーム内の疑似現実なのだ。しかし、彼自身はそれを知らない。新しい没入型エンターテインメントが毎月何十本とリリースされるが、セレステ社の《アクアク・マカーク》の人気は揺るがない。このタイトルが成功した秘訣は、参加できるプレイヤーの数を常に厳しく制限し(推定三千人程度)、新規プレイヤーは古いプレイヤーが死亡するか止めるまで参加できないこと。そして、ゲーム内の世界は現実と同じく二度目のチャンスがなく、そのなかで死んだ者はふたたび戻れない。ただゲームの中心にいるアクアク・マカークだけが不死身なのだ。
ゲーム《アクアク・マカーク》のなかの世界ではナチスがヨーロッパ制覇を狙っているが、現実の世界でも巨大な陰謀がひそかに動きだそうとしていた。元ジャーナリストで事故によって脳の大部分をジェルウェア(柔らかい情報処理装置)に置きかえたヴィクトリア・ヴァロワは、別居中だった夫のポールが何者かに惨殺され、その謎を追っていくうち陰謀の一端にふれてしまう。
この物語にはもうひとりの主役がいる。英仏連合王国の皇太子メロヴィクだ。いまはパリに留学して政治と哲学を学んでいるが、母であるアリッサ女公爵が何かと干渉してくる。父のウィリアム五世国王がパレード中にロケット弾で襲われ昏睡状態にあるため、メロヴィクが代理として退屈な義務をこなさなければならない。彼自身にとっては皇太子の役目などより、学生仲間とのつきあいのほうがずっと刺激的で面白いのだが。
ある日、同じ大学に通っている恋人のジュリーが《アクアク・マカーク》は「人工知能の権利侵害」にあたるのではないかと言いだす。キャラクターの猿が見せかけではなく、実際の自意識を備えているのではないか----ジュリーをはじめ何人かの学生は、ゲーム内の兆候からそう考えている。彼女がメロヴィクに相談したのは、《アクアク・マカーク》を運営しているセレステ社が、彼の母アリッサ女公爵の会社だからだ。
一方、ヴィクトリアも別なルートでセレステ社に肉薄していた。ポールを殺した犯人〈笑い男〉と対峙し、その背後にカルト結社〈死なぬ者たち(アンダイイング)〉があること、結社とセレステ社とが密接に関わっていることが明らかになる。ヴィクトリアを後見するのは巨大飛行船テレシコーヴァ号の船長で「提督」と呼ばれる人物だ。飛行船上の立ちまわりもあり、ゲーム内のアクアク・マカークのみごとな空中戦と併せて、ちょっと懐かしい冒険活劇の味わいだ。
それだけじゃない。アクアク・マカークがAIではなく生身の猿になって、2059年の抗争に参戦するのだ!
アクアク・マカークはメロヴィクとジュリーの活躍によってセレステ社から救出されていた。すべての真相を知らされた彼は怒り心頭。「お前にゲームのキャラにされた者の気持ちがわかるか!」とばかり、セレステ社のクソどもに復讐を誓う。アクアク・マカークと元気な少女ミンディとの感動の再会もある。猿の前にあらわれた彼女は二本指を眉につけて敬礼し、「やっほう、隊長」と呼びかける。現実世界でのミンディは凄腕のハッカーだった。
そこから先はノンストップ。人格移植、火星ロケット、ロボット兵士、人体改造といったガジェットもふんだんに投入され、アニメかコミックブックさながらの極彩色のアクションが展開される。
たとえば、アクアク・マカークと敵役の対決シーンはこんなふう。
「間もなく、何千というアンドロイドが誕生する。核爆弾の投下がはじまれば、わたしたちの作ったシェルターに人々は集まる。そうしたら、彼らをアンドロイド化する作業を始める。やってくるときは怯えたひ弱な存在だった者たちがまさにスーパーマンとなって出て行くのだ。足元で炎が燃え盛る世界へ」
アクアク・マカークは首を振り、冷たい床に鼻が擦れた。
「おまえ、狂ってるな」
「世界を作り替えたいと願うことが狂っているのかね。歴史の誤りを正して、病気と苦しみを根絶することが?」
アクアク・マカークはドクターのほうを見て、痰を吐いた。
「おまえがやろうとしている方法だったらな」
いやあ、このご時世にこれほど正統派、こってこってのマッドサイエンティストと出会えるとは! ガレス・L・パウエルありがとー! しかし、いいのかしら、こんなムチャな作品に英国SF協会賞をあげて。
(牧眞司)