【今週はこれを読め! SF編】無限に反復される抽象画、均質な空間に宿る悪夢

文=牧眞司

  • 時間のないホテル (創元海外SF叢書)
  • 『時間のないホテル (創元海外SF叢書)』
    ウィル・ワイルズ,若島 正,茂木 健
    東京創元社
    2,640円(税込)
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『時間のないホテル』は、建築SFであり、21世紀版の幽霊屋敷小説ともいえる。ホテルという人間のつくりだしたシステムが、あるときから人知を超えて自律してしまう構図は、まさに本格SFの味わいだ。また、そのホテル全体が異空間となって人間を呪縛していくところは、伝統的な怪奇小説の展開である。ところが、物語の発端はきわめて平板なビジネスの光景だ。主人公のニール・ダブルは、商業イベントに代行参加するプロフェッショナル。彼は大きな会場で数日にわたって開催されるイベントのなかから、依頼人が必要とする情報をすくいあげて報告書にまとめる。コスト・パフォーマンスの高さを売り物にする無機質なホテルに泊まり、嘘くさいプロモーションで固めたブースが居並ぶコンヴェンション・センターを歩きまわる仕事だ。

 この舞台設定が、この作品の大きな特徴である。味も素っ気もない均質な空間、行き交うひとびとも匿名的な存在になってしまう領域。それは、ゴシックホラーが好んで描いた城や館の対極にあるものだ。J・G・バラードは『クラッシュ』『コンクリート・アイランド』『ハイ・ライズ』という1970年代半ばの三部作で、こうした都市空間に宿る欲動を鮮烈に描いた。ウィル・ワイルズは、本書の「謝辞」でバラードへのリスペクトを示している。

 ニール・ダブルが泊まるホテル「ウェイ・イン」と、イベントが開かれるコンヴェンション・センターは地図上では隣接しながら、そのあいだは高速道路で分断されている。両施設をつなぐ空中連絡通路がまだ建設中のため、参加者はわざわざシャトルバスを利用しなければならない。ただし、シャトルバスに乗るにはイベント参加登録が必要だ。ところが、ダブルは主催者とトラブルを起こして登録を抹消されてしまう。電話対応では埒が明かず、再登録のためには会場の受付に行くしかない。だが、シャトルバスに乗れないので会場には行けない。タクシーを呼ぼうとするが、地図上ではホテルとセンターは同一地点のため、タクシー会社が応じてくれない。思いあまったダブルは徒歩で高速道路を渡ろうと試みるが......。序盤におかれたこのエピソードは、バラードの『コンクリート・アイランド』を髣髴とさせるスリルで、もう、これだけで長篇一冊書けそうなくらいだ。

 しかし、これはあくまで前菜のようなもので、本当に恐ろしいのは快適が保証されているはずのホテルのほうだった。予兆はダブルがホテルのバーで遭遇した赤毛の女で、彼女は壁の抽象画を撮影している。聞けば、ウェイ・インではバーだけではなく、レストラン、ロビー、会議室、それぞれの客室にも、似たような抽象画がかかっているという。しかし、似ているだけで、一枚一枚が違っているのだ。ウェイ・インは世界展開しているホテル・チェーンであり、そのすべてに抽象画が飾られているので、すべてを合わせれば何万枚になるだろう。

 この夥しい枚数の抽象画は反復のイメージにほかならない。ホテルのエレベーターも鏡張りで、自分の像が無限に増殖する。ご丁寧に主人公の名前もダブル(Double)だ。

 そもそもホテルというものはたいてい、廊下の両脇に同じような扉が延々と並んでいるのだ。違いといえば部屋番号だけである。カギを部屋に置きっ放しで外に出て、部屋番号を忘れるとちょっと面倒なことになる(恥ずかしながら、私は何度か経験があります)。

 ダブルが泊まっている部屋は219号室。先述したイベント主催者とのトラブルやら、部屋のクロックラジオの不調やらで苛立って眠れず、気まぐれに深夜のホテル探索に出かける。右へ左へと曲がる廊下をだいぶ歩いたすえ、「この扉は警報装置に直結しています。緊急時以外の使用を禁じます」と書かれた防火扉へ行きつき、そこから引き返そうとするのだが迷子になってしまう。先ほど通った部屋の番号は281だった。そこから部屋番号が減る方向へ歩いていたつもりだが、いま目の前にあるのは288だ。いったい、このホテルにはいくつ部屋があるのだろう。どの廊下も行きに通ってきたように思えるのだが、本当に同じ廊下か確証が持てない。

 ぐるぐる巡ってようやく219号室にたどりつくのだが、ルームカードが作動しない。しかたなく、フロントまで下りてカードリーダーで処置をしてもらい、また219号室へと戻れば今度は無事に解錠ができた。ホッと一息ついたダブルだが、部屋のなかで妙な感覚にとらわれる。先ほどルームカードをはねつけた219号室は、この219号室ではなく、別の219号室ではないか。部屋の外の様子が確かに違っていた。

 しかし、フロントに尋ねても、このホテルに219号室はひとつしかないといわれる。ダブルの疑念を相談できそうな相手は、抽象画を撮影していたあの赤毛の女くらいだ。じつは、深夜の廊下を彷徨っているとき、窓から見下ろした中庭で彼女が瞑想しているのを見たような気がするのだ。それともあれは夢だったのか。翌朝、ダブルは女を見つけて話しかけるが、どうにもうまく噛みあわない。あげく、女に携帯電話を持ちさられてしまう。女は冗談のつもりかもしれないが、ダブルにとっては外部と連絡するのに不可欠なツールである。なにしろ、まだイベント参加登録が回復されていないのだ。

 何重もの不条理に囲まれてしまったダブルだが、あがきつづけるうち、だんだんとホテルそのものが意思を持っているような気がしてくる。ホテルは彼に何をさせようとしているのか? また、赤毛の女はどんな役割を負っているのか? このあたりのミステリアスな雰囲気はスティーヴン・キング『シャイニング』ばりだ。ダブルの幼少時代の記憶(父親が滞在しているホテルへ母親とともに訪ねていった)がじわじわと甦ってくるところも、キング作品に似た不吉さだ。

 全体としてホラー的な方向へと舵を切りながら、ダブルが平凡なビジネスマンの感覚が抜けなかったり、イベントに参加しているお節介な知りあい(ダブルのことを勝手に友人扱いしている業界誌記者)が絡んできたりと、ほんのりとユーモアが漂う。

(牧眞司)

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