【今週はこれを読め! SF編】ひとつの地形として横たわるだけ巨竜が作品世界を支配する
文=牧眞司
《竜のグリオール》は1984年から断続的に発表されたシリーズで、つごう七篇を数える。本書はそのうち前半四篇を収録している。
作者シェパードは巻末の「作品に関する覚え書き」で、こう述べている。
なぜこんなに何度もグリオールのところへ戻ってくることになったのかはわからない。基本的には、わたしはエルフも魔法使いも小人族も竜もおなじようにきらっているのだ。おそらく、フィクションに登場する竜をサイズ順でならべたリストでわたしの竜がもっとも大きかったのを見たせいだろう。なんであれ最大のものについて小説を書くことを一生の仕事にできるかもしれないと考えたのだ。
竜が登場する作品はあまりに多く、エルフや魔法使いと同様、手垢がつきすぎているきらいがある。しかし、グリオールはまったく異質の存在感をもって、そこに描かれた世界、いや作品全体をも支配する。グリオールは大昔に、さる魔法使いと相打ちになり、麻痺状態に陥った。心臓も呼吸も止まったが、時のエネルギーを吸収して成長をつづけ、いまは鼻面から尻尾の先までが六千フィート(千八百メートル余)にもなった。身体は雑草や木々に覆われた丘になり、その上にいくつもの村が形成された。また、グリオールにはこの世のものとは思えないさまざまな寄生生物が巣くっている。
グリオールは不可解な思考で人間を操るといわれる。ひとびとは自分たちが陰気なのも、ときおり近隣に襲撃をかけるのも、すべてグリオールの影響だと考えている。グルオールを完全に殺せば報償が得られるが、まだ成功した者はいない。
第一話「竜のグリオールに絵を描いた男」は、途轍もないやりかたでグリオール殺しを試みるメリック・キャタネイの物語だ。グリオールは賢いので、あからさまな殺意で近づけば察知される。ならば、竜の身体に絵を描いているふりをして、絵の具の毒をじわじわ染みこませばいい。かくして、数多くの職人が雇われ、昇降機と梯子を備えた足場が組まれる。四十年あるいは五十年がかりの計画だ。
竜に絵を描く事業によってふもとの集落は活況を呈す。騒々しいドヤ街が形成され、作業員のほか、娼婦、賭博師、ありとあらゆるやくざな連中、そして兵士たちが住まった。計画に必要な莫大な費用をまかなうため、軍隊が組織され、近隣の国々からの略奪がおこなわれるようになる。
作業に専念するメリックだが、リーゼという女によって人生の歯車が狂う。リーゼは石灰焼き職長バーディエルの妻だが、夫婦仲はうまくいっていない。メリックとリーゼが逢い引きするのは竜の翼の下だ。そこは危険な寄生生物が棲んでいるという噂のため、ほかの人間は近づかない。思いつめたメリックは、ふたりで別の国へ行こうと言いだす。いまの仕事など放りだしたってもいい。
不倫を知ったバーディエルに追われ、ふたりは竜の身体の奥地----まだ作業が及んでいない----へ逃げこむ。その冒険が物語の主体をなすのだが、この逃避行の過程で、メリックはグリオールの精神と深く同調していく。それは極限状態がもたらした幻想か、あるいはグリオールの夢のなかに溶けこんでいるのか。この作品のファンタジイたる価値は、竜や異世界といった道具立てではなく、意識が個人を超えて拡張・融合する領域への到達である。シェパードの表現力があればこそだ。
そしてメリックは思いいたる。私は自分の意志でグリオールを殺す計画を立てたつもりだった、しかし、それすらグリオールに導かれていたのではないか。
ほかの三篇も、作品ごとに主人公・展開・雰囲気は大きく異なりながら、その根底に「自由意志」の問題が横たわっている。
第二作「鱗狩人の美しい娘」は、生まれたときからグリオールの皮膚に接して育ったキャサリンが、強姦男から逃れるためグリオールの口のなかへ逃げこみ、そこに棲むカルト的な一族に幽閉される。キャサリンはグリオールそのものと、グリオール内部に形成された奇妙な生態を研究しはじめる。キャサリンはグリオールに庇護されながら、グリオールに自由を奪われている立場といえる。そして、終盤に、彼女がなんのために、グリオール体内に留めおかれていたかが明らかになる。
第三作「始祖の石」は、グリオールを崇める〈竜の宮殿〉の僧侶が殺される。容疑者は宝石研磨工レイモスで、犯行に用いられた凶器はグリオールの分泌物で形成された「始祖の石」と推定された。物語はレイモスを弁護するコロレイの視点で語られる。事件には、レイモスの娘ミリエルが絡んでいる。彼女は〈竜の宮殿〉で、自らすすんで僧侶のなぐさみものになっていたらしく、父レイモスのことを憎む素振りを見せる。コロレイは法に従う人間として不偏の判断をおこない、情実を抜きにして真実を明らかにしようと心がけ、法廷ではそれが認められるかたちで決着がつく。しかし、その先に、思いもしなかった絡繰りが露呈する。
第四作「嘘つきの館」は、グリオールの脇腹の近くの町テオシンテでの綺譚。乱暴者ホタはある日、グリオールの鼻面の上空でくるくる舞う小さな竜を目にし、その姿に魅せられて追うが見失ってしまう。落胆するホタだが、それを帳消しにするように美しい女があらわれる。女はマガリと名乗り、ホタのことを知っているそぶりを見せる。ホタにはマガリが竜の化身のように思えてならないが、確証は得られない。ふたりは同棲し、やがてマガリが妊娠する。ホタは自分の子だと喜ぶが、マガリはこれはグリオールの子だという。いったい、どういうことか。
グリオールは絶対神ではない。シェパード自身は「(第一作執筆当時は)レーガン政権の適切な隠喩に思えた」とも述べているが、いうまでもなく実際に書かれてしまったグリオールは、もはや隠喩のみに回収できはしない。本書の解説でおおしまゆたかさんが「虚実の境が分明でないので、そこは読む方も綱渡りを楽しむつもりで読んだ方がいい」と述べているとおりだ。
神でも体制でもないが、ひとびとの精神を誘導してしまう超越的な存在。しかし、人間の自由意志をねじまげているとも言えない。ひとびとは結果的に、自らすすんでその役割を果たしてしまうのだ。宿命のように。
グリオールは作品世界に静かに、そして圧倒的に君臨している。
(牧眞司)