【今週はこれを読め! SF編】ITによって変貌しゆくアクチャルな未来を描いた連作集
文=牧眞司
ITの発展、およびそれを取りまく文化によって、変わりゆく近未来を描く連作。作中で用いられるのは空想的な超テクノロジーではなく、いま現実にあるツールやメソッドであり、主題となるのも、いまの世界が直面している(あるいは、これから不可避に直面するであろう)アクチャルな問題だ。そして、もっとも注目すべきは、それに取り組む主人公たちの行動原理である。
収録されている五篇をつうじての主人公、文椎泰洋(ふづいやすひろ)は第一篇「ハロー・ワールド」の時点で、ベンチャー企業に勤務するエンジニアだ。しかも、スーパーハッカーなどではなく、"何でも屋"を自認しているところが泣かせる。プログラムも書くし、海外との折衝業務や人事教育、営業支援なども経験しているが、とくに傑出した技能や知識があるわけではない。出向先(IT業界の上場企業)の部長、津島からは「文椎さん器用だけどな、自分で何でも屋なんて言わない方がいいよ」と、やんわりたしなめられる場面もある。
しかし、文椎はやれることは自分でやるが、なにもすべて自分でやる必要はないと達観しているようでもある。リソースは適宜調達すればいいのだ。「ハロー・ワールド」では、彼は会社の業務とは別に、技術に長けた郭瀬敦(くるわぜあつし)、マーケティング担当の汪静英(ワンジンイン)とともに、広告ブロックアプリ〈ブランケン〉をつくって販売している。副業だが、つつみかかくさず、津島にはそのことを話している。こうしたさばけた感覚が、読んでいて気持ちいい。
もっとも、〈ブランケン〉はそれほど儲かっていない。三人がかりで半年二百万円程度だ。しかし、急にインドネシアの一部で売れはじめる。何が起こっているのか? 文椎たちは現地へ赴くことなく、ネット経由のテストと検証をおこなうことで、その原因を突きとめる。〈ブランケン〉だけが消せる特定の広告があるのだ。さらに、そのメカニズムを解析してみると、インドネシア当該地区の体制がひそかに進めていた陰謀に行きあたる。
さて、文椎はどう行動すべきか? 陰謀を暴けば英雄になれるだろう。しかし、そんなことになんのメリットがあるのか? 一度も行ったことのない、誰ひとりとして知りあいのいない地域のために。
ミステリ的な興味をそそる作品でもあるので、「陰謀」の巧妙な絡繰りとそれが露見するプロセス、そして文椎が選ぶ解決法は、ここでは伏せておこう。ただひとつ強調しておきたいのは、文椎の行動原理は、これまで多くの物語を動かしてきた圧倒的な「正義」「欲望」ではなく、ネット時代の穏当な「自由」「公正」だということだ。究極の到達点があるのではなく、多極のバランスを取りながらの「理想」といってもいい。それはデビュー作『Gene Mapper』以来、藤井太洋が一貫して示している姿勢でもある。
文椎は先述したようにベンチャー企業の社員だが、現場では自社のミッションをこなしながらも、もっと大きな状況変化と対峙するはめになる。ほかの組織の人間とのやりとりも多い。第二篇「行き先は特異点」では自社開発のドローンのデモンストレーションのためにアメリカにいて、ドローン誤配の特異点(なぜか荷物が集まってきてしまう地点がある)を見つける。つづく第三篇「五色革命」では、やはりドローンがらみでバンコクに滞在中、独裁政権を糾弾する大規模な抗議騒動になりゆきで関わってしまう。
この二篇の文椎は事態に巻きこまれたかたちだが、第四篇「巨象の肩に乗って」では、自分から動きだす。といっても、技術的ブレイクスルーを試みたり、体制を覆す革命をめざすのではなく、発端はほんのささやかなものだ。twitterが中国での検閲を許したことに反発して、オープンソースのネットサービス〈マストドン〉を利用した、独自の脱中央集権型SNS〈オクスペッカー〉を立ちあげたのである。誰でも、いつでも、なんでも自由に書きこんで共有できる〈オクスペッカー〉の思想は、またたく間に多くの支持を集め、予想を遙かに超える勢いでユーザーが急増する。それは良かったのだが、膨れあがる維持管理費用は、文椎が個人で負担できる域を超えていた。そして、もうひとつ大きな問題が持ちあがる。警視庁サーバー犯罪対策課に目をつけられたのだ。しかし、彼らに屈することは、体制の監視を受け容れることである。
第一篇「ハロー・ワールド」につづき、ここでもネット時代の「自由」と「公正」をどう保証しうるかが俎上にのぼるのだが、こんかいは体制側に文椎という個人が特定されてしまっている点が悩ましい。しかし、藤井さんは、読者が納得のいく、スマートで現実的な解決法を導きだす。
最終篇「めぐみの雨が降る」は、〈オクスペッカー〉によって、社会の表舞台ではともかく、ディープなサイバーカルチャーの世界では有名人になった文椎に、中国在世部の金融技術司司長を名乗る呉紅東(ウーホンドン)が接触してくる。新しい仮想通貨を投入することで中国にインフレを起こそうというのだ。しかし、仮想通貨は信用がともなわなければ、たんなる空伝票だ。では、その信用創出を、いかなる仕組みでおこなうか? その道筋が非常にスリリングだ。現行の仮想通貨の経緯や経済のメカニズムに精通しているひとでも、きっとビックリするはず。ほとんど逆転の発想といってよいと思う。
しかし、この作品が小説として優れているのは、それまで一貫して体制に与しない姿勢を貫いてきた文椎が、中国の大がかりな権力とどのように対峙するか/折りあうか----を焦点としている点(呉は文椎やその仲間たちの個人情報を握っており、それを人質のようにチラつかせる)、そして呉の腹心の部下ともいえるふたりの中国人エンジニアが、文椎とかならずしも同じではないが、サイバーカルチャーに根ざした価値観を有している点だ。つまり、利害や価値観の相違が幾重にも入り組んでいる。文椎は、最適解を見出せるだろうか。
(牧眞司)