【今週はこれを読め! SF編】感覚情報翻訳者が活躍する凝った構成のミステリ連作
文=牧眞司
デビュー作『風牙』につづく、《感覚情報翻訳者(インタープリンタ)》シリーズ。感覚情報翻訳者とは、レコーディングされた記憶に潜行(ダイブ)して、そのままではノイズのかたまりのようなデータを、意味のある映像へ成形するプロフェッショナルである。誰でもできる技術ではなく、生まれもっての資質が問われる。HSP(ハイパー・センシティブ・パーソン)と呼ばれる共感能力だ。この物語の主人公である珊瑚はグレード5。百万人にひとりしかいないトップレベルの能力者だ。
HSPはそのままでは集団のなかで生きにくい。周囲の人間に共感してしまうため、自我を保てなくなるのだ。目を閉じても耳を塞いでも、不随に他人の意識がわかってしまう。施設に収容され、トランキライザを投与され、かろうじて平穏な自分を取り戻せる。彼らが社会のなかで居場所にできる職業は、感覚情報翻訳者しかないのだ。
ハンディキャップと裏腹の特殊な技能。この設定が、このシリーズの大きな魅力だ。また、人間の記憶の捉えかたが実際的だ。多くのSFでは、記憶はテキストのように扱われていて、テレパシーで相手の心を読む描写でも本に書かれているものを読むように描かれていた。しかし、少し考えてみればわかるように、記憶は言語化されておらず、個別にされてもいない。いくつもの層が複雑に折り重なって混然としている。それを物語へ媒介するうえで、この作品では感覚情報翻訳者というアイデアを効果的に用いている。
もうひとつの注目点は、キャラクターの魅力である。本書の解説で、森下一仁さんが「関西弁をしゃべる元気な主人公と、彼女を取り巻く人々(およびAI)が繰り広げる、明るく前向きな、ボケとツッコミに満ちたドラマ」と指摘している。まさにその通りだ。
さて、珊瑚が取り組むそれぞれの事案は、仕事上のミッションというだけにとどまらず、彼女の秘められた過去とこれから立ちむかう未来に深く関わる。しかも、シリーズものにありがちな定型化された語りかたではなく、エピソードごとに視点の位置・移動や物語の構成を大胆に変えている点も素晴らしい。
『追憶の杜』には、みっつのエピソードが収められている。
最初の「六花の標」では、珊瑚が感覚情報データを翻訳(作中では「汎用化」と呼ばれる)を進めている映像を、依頼人の仁紀(にき)が納品されたそばから一般に公開してしまう。しかも、その記憶内容がかなりデリケートだ。依頼人は歳上の料理研究家、雪肌女(ゆきめ)と同居しており、その雪肌女が亡くなった。いま公開されているのは、ふたりの生活を依頼人の記憶から再構成した映像なのだ。公開は故人の遺志だというが、世論はこれを支持するものと非難するものの分かれる。悩ましいのは、非難のなかにすくなからず、感覚情報の汎用化をおこなった業者(珊瑚が勤務している九龍(くーろん))の責任を問う声が含まれていることだ。しかし、九龍としては契約上、納品後のデータがどう扱われるようが咎めることはできない。仁紀は何を考えているのか? 雪肌女はなぜ公開を望んだか?
次のエピソード「銀糸の先」では、記録レコーディング中のユーザが殺害される事件が連続し、これは人間が殺されるときの意識をスナッフビデオ化している業者がいるに違いないという都市伝説が広まっている。根も葉もない噂だが、それが感覚情報レコーディング/汎用化という技術への不審につながってしまう。それを晴らすため、九龍ではジャーナリストを招いて、社内を取材させることになる。このエピソードの大半は、このジャーナリスト「私」の視点で綴られている。私の挑発的なインタビューに対して、冷静に対処していく珊瑚の受け答えが見ものだ。しかし、珊瑚が私と対峙しているのは、九龍の事業の正当性を裏づけるためとは、まったく別の目的があった。
締めくくりのエピソード「追憶の杜」は、感覚情報データ汎用化過程のうち、いままで感覚情報翻訳家が人手でおこなっていた準備作業をAIに任せる実験がおこなわれている。そのモニタリングで、珊瑚はAIが構成した疑験空間に入るが、どうも違和感がある。AIによってデザインされているため、この空間内のすべては明確に把握されているはずだが、いるはずのない犬が見えるのだ。珊瑚は犬のあとを追って、疑験空間の深層へと入りこむ。そこで彼女が知ったことは......。
こうして改めてみると、どのエピソードにもミステリの趣向があることがわかる。なんらかの謎が投げかけられ、捜査・探究ないし議論を経て、結末で読者の予想を超える真相が明かされる。最初に提示された謎がすっきり晴れる場合もあるが、謎と見えたのはじつは謎ではなく、その背後にあったもっと重要な事態に到達する場合もある。卓越した構成力の作家だ。これがデビュー第二作というから恐れ入る。
(牧眞司)