【今週はこれを読め! SF編】翡翠というモチーフが担う多義性、多視点で語られる物語の推進力
文=牧眞司
『翡翠城市』は異世界ファンタジイだが、感覚はひじょうに現代的だ。エキゾチズムやロマンチシズムに拠るのではなく、内政と外交においてシビアな駆け引きがおこなわれる。そのいっぽう、民族主義的・家族主義的な組織論も息づいている。物語の中心となる登場人物は、コール家の長兄ラン、次兄ヒロ、妹シェイの三人だ。
彼らの祖父センは、祖国である島国ケコンの独立のために戦った〈一山会〉のリーダーのひとりである。父ドゥはその独立戦争で亡くなった。もっとも、〈一山会〉が民族の英雄だったのは過去のことで、ケコンが独立を果たしてのちは、ビジネス的な対立で〈無峰会〉と〈山岳会〉に分裂し、縄張りをめぐって争いごとが絶えない。
コール家は〈無峰会〉の宗家である。かたや〈山岳会〉を率いるのはアイト家だ。こちらは先代が亡くなったのち、養女マダが血の粛清によって全権を掌握した。〈無峰会〉も〈山岳会〉も義侠的自衛組織の側面と、暴力と恐怖によって地域を支配するマフィア的な側面を併せもっている。
そうした島内の抗争がつづくいっぽうで、視野を広げてみるとケコンは外交的に難しい時期を迎えている。かつての支配国ショターは退けたものの、経済的にも技術的にも優勢なふたつの国、エスペニアとイグタンがケコンの利権に手を伸ばしている。この島は希少な翡翠を産出するからだ。
翡翠には神秘的なエネルギーがあり、ケコン人がそれを身につけると怪力、敏捷、感知などの特殊能力が発揮できる。ただし、翡翠を制御するには生来の資質(グリーンボーンと呼ばれる)に加え、長く厳しい訓練が不可欠だ。訓練なしに翡翠にふれると取り憑かれて身を滅ぼす。また、熟練した者でも過剰暴露によって身体機能を失調し"渇望"に陥る危険がある。つまり翡翠は、奇跡的な精神・身体賦活剤にして麻薬なのだ。
ケコン人以外のほとんどの人種にとって翡翠は致死的だが、エスペニアが開発したSN1(シャイン)なる合成薬の投与によって、制御可能になるとも言われる。ただし効能/副作用の検証がじゅうぶんになされているわけではない。また、SN1は闇マーケットに出まわっているが、その質はきわめて怪しい。もはや、SN1自体が薬理的にも流通的にも麻薬のようなものだ。
エスペニアは国家的にSN1製造をおこない、翡翠を身につけた自国のエリート兵士軍団をつくろうと目論んでいる。いっぽう、イグタンは自国の兵士の生まれつきの抵抗力を強化することで、翡翠が利用できるようにする研究を進めている。そして、ショターが企んでいるのはもっとおぞましいことだ。秘密裏にケコン人女性を強制連行し、レイプして妊娠させ、翡翠への耐性形質を受けついだ子を得ようというのである。
このように、翡翠には扱いが難しく、非常に危険な戦略物資としての側面もある。
〈無峰会〉と〈山岳会〉の熾烈な抗争と、ケコンの翡翠をめぐる各国家間の激しい緊張のなかで、登場人物たちの運命が翻弄される。
コール家の長兄ラン(現在三十五歳)は祖父から〈無峰会〉の最高責任者たる〈柱〉の座を引きつぎ、きわめて思慮深い組織運営をおこなっていたが、避けられぬなりゆきで〈山岳会〉の強者と決闘をして傷を負い、翡翠の制御が難しくなってしまう。快復にむけて休養すべきところだが、〈山岳会〉からの挑発が度を増す状況下では、それも許されない。
次兄ヒロ(現在二十七歳)は〈無峰会〉の武闘的指導者である〈角〉であり、翡翠を十全にコントロールでき、部下からの信頼が厚い。しかし、彼には兄ランのような大局観やかけひきをこなす才覚はなく、本人もそれを自覚している。
妹シェイ(現在二十六歳)はコール家に縛られるのを嫌って、翡翠を捨て(グリーンボーンにとってそれは身を切るような選択だ)、エスペニアに留学した。しかし、現代的なビジネスの世界で身を立てようという彼女の望みは、緊迫する情勢によって潰えていく。
もうひとり、コール家のなかで独特の立場にあるのが、養子のアンデンだ(現在十八歳)。ランたちは彼のことを「従兄弟」として温かく扱っており、アンデンも彼らを慕っている。しかし、アンデンは、自分の血のなかに翡翠を扱う優れた力とともに、狂気が宿っていることに畏れを抱いている。彼の実母は狂死した。アンデンはいま優秀な学生であり、卒業後は〈無峰会〉の一員として活躍することが期待されている。しかし、本人はどこか怯む気持ちを拭いきれない。
こうした登場人物による多視点で構成されながら、各エピソードがバラバラではなくお互いに緊密に絡みあうのが『翡翠城市』の特長だ。そこから作品全体を太く貫く推進力が生まれる。
(牧眞司)