【今週はこれを読め! SF編】横たわるグリオール以前と、死んだグリオール以後
文=牧眞司
『竜のグリオールに絵を描いた男』につづく、シリーズ第二短篇集。この欄で前作を取りあげたおりにふれたが(http://www.webdoku.jp/newshz/maki/2018/09/11/173735.html)、麻痺状態で横たわりながらも成長をつづける超巨大竜グリオールをめぐる物語だ。グリオールは人間を操るとひとびとは信じている。しかし、実際に竜の意志がテレパシー的に働いているのか、それとも人間の心にある呪術信仰による誘導なのか、あるいは運命論的な見立てで事後に物語化されるのか、判然としない。そこから醸しだされる靄のような感覚がじつにみごとだ。定型的なファンタジイ設定にはおさまらない世界である。
さて、本書に収録されているのは、短篇「タボリンの鱗」と中長篇「スカル」の二作品。前の短篇集『竜のグリオールに絵を描いた男』の諸篇と大きく違うのは、グリオールが「大地に横たわっている存在」ではないことだ。
「タボリンの鱗」では、グリオールの鱗の作用で、骨董商タボリンと娼婦シルヴィアが過去へタイムスリップし、動きまわるグリオール(まだ若く身体もそれほど巨大ではない)を目の当たりにする。グリオールは圧倒的な力、牙と爪、そして口から吐く火によって村人たちを平原へと追いたてていた。帰るところを失い、食料も限られるなか、ひとびとは野蛮化していく。タボリンとシルヴィアはこの状況を乗りきれるか? そしてグリオールは、彼らに何を見せようとしているのか?
「スカル」は、「タボリンの鱗」と時間的には正反対で、すでにグリオールが死んで何世紀も経たのちの物語である。竜の死体は解体され、その部位はさまざまな買い手に引きとられた。頭蓋骨(百八十メートルほどもあった)は海を越えて、中南米テマラグアの王の元へ届けられる。そして、物語は時代を経て激動の現代へと接続していく。圧政的な体制、はびこる貧困や人種差別、急進的な革命主義者の台頭......。
視点人物はスノウという米国籍の白人男性(グリンゴ)だ。彼はテマラグアの軋轢と汚濁に満ちた社会の合間をすり抜けて生き、シニカルな少女ヤーラと奇妙な愛憎関係で結ばれる。そして、運命に翻弄されるように、議会で勢力を伸ばしつつある暴力的な右派政党のリーダー、ヘファの傘下へと組みこまれていく。ヘファはカリスマであり、グリオールの生まれ変わりだとの噂があった。
「スカル」には、ヘファが帯びる都市伝説的逸話を別にすればファンタジイ要素は最小限で、ガルシア=マルケスやフェンテスのマジックリアリズムに近い味わいだ。神話的・土俗的な世界観と現代社会の歪みを見通す視野がひとつの地平でつながっている。
「タボリンの鱗」「スカル」の両篇に共通するのは、視点人物である男性キャラクターと、彼の側にいる女性キャラクターの造形だ。男性キャラクターはグリオール的存在に翻弄されつつも、状況に対しては一歩引いて接する姿勢を取ろうとする。いっぽう、女性キャラクターは社会のなかでは搾取・抑圧されてきた立場にある。にもかかわらず、いや、だからこそ手段を選ばぬ逞しさで状況と立ちむかい、自分が目ざすことを貫く。彼女たちの燃えさかるような命の躍動は、グリオールの暗く冷えた生命感と対照的だ。
(牧眞司)