【今週はこれを読め! SF編】ケン・リュウ選とは味わいの違う、新しい中華圏SFアンソロジー
文=牧眞司
鳴り物入りで邦訳された劉慈欣『三体』をはじめ、日本でも中華圏SFの活況が紹介されはじめている。中華圏と日本に両国のSF界の架け橋として大活躍しているのが、本書の編者、立原透耶さんである。
現代中国SFのアンソロジーは、ケン・リュウ編の『折りたたみ北京』『月の光』がすでに訳出されているが(ともに《新☆ハヤカワ・SF・シリーズ》)、この二冊と比べると『時のきざはし』はストレートなアイデアストーリー、情緒的にとっつきやすい作品が多い。立原さんの嗜好か、それとも日本の(多くの)読者向けを意識した結果か。印象としては、1950年代のアメリカSF、もしくは60年代から70年代にかけての日本SFに近いものを感じた。
江波「太陽に別れを告げる日」は、太陽系外探査を目ざしている多くの学生のうち、いつも一緒に任務に取りくんでいる候補生ペアの物語。宇宙で思いがけない事故に遭遇したとき、彼らはどのように対処するか? そして、その対処は彼らに何をもたらすか。
何夕「異域」は、地球の人口が三百億に達した未来が舞台。食糧を供給する「西麦農場」に異変が起こり、いくつかの分隊が派遣されるが、何物かによって次々と殺戮されてしまう。生き残った分隊は、農場に隠された驚くべき秘密にふれ、重大な決断をくだす。
凌晨「プラチナの結婚指輪」は、男女比のアンバランスで嫁取りが難しくなった寒村の青年が、星際婚姻仲介ステーションに申しこみ、クモトゥオ人の娘を紹介される。娘は不細工で無表情だが、よく働き、義父義母も大切にする。あとは子どもができればというところで、夫婦に悲劇が訪れる。SF版の人情噺。
吴霜「人骨笛」は、タイムトラベル・ロマンス。主人公は繰り返し、五胡十六国時代の情景と光り輝く宇宙船上の有翼人を夢に見る。それに惹かれ、時間旅行の実験に志願をしたが......。ごく短いスケッチのような作品だが、哀感が横溢している。
王晋康「七重のSHELL」は、ヴァーチャル・リアリティ技術が圧倒的に発達したアメリカを、中国の青年が訪れる。彼がチャレンジするのは、巧妙に仕組まれたVRが「現実ではないこと」を見抜くことだ。しかも、見破った先が元の現実だとは限らない。擬似現実を抜けるとまた擬似現実の展開だが、P・K・ディック的悪夢というよりもゲーム的な味わい。それにしても、主人公が「(アメリカは)ドラッグ、セックス中毒、乱交、同性愛、女性が子供を産むのを拒否するなんて......ほとんど世界の終わりだよ」と批判的に見ているところが興味深い。これがそのまま作者のアメリカ観かどうかはわからないが。
以上に紹介したのは、どれも素朴に楽しめる作品である。
文芸的にひねりがあるものとしては、陸秋槎「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」と梁清散「済南の大凧」が、ともに架空人物の伝記とありえたかもしれない歴史を巧みに組みあわせた逸品。前者はスティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』を連想させ、後者はスチームパンク的な味わいがある。細部の叙述がじつに凝っていて楽しい。
このアンソロジーのうちで、ひときわ異彩を放っているのが、韓松「地下鉄の驚くべき変容」。ラッシュアワーの地下鉄が疾走をつづけ、気づくと得体の知れない領域へと入りこんでしまう。車両間はなぜか封鎖されていて移動ができない。しだいに秩序を失っていく車両内の様子が、筒井康隆的な意地悪さで描かれるいっぽう、ロッククライミングの心得がある若者が車窓から外へ抜けだし、車体沿いに運転室へと向かう。彼の目に映るのは、他の車両の異様な光景だ。パニック小説的ムードではじまった物語が、グロテスクな不条理SFへ転調し、事態は思わぬ方向にエスカレートしていく。
立原さんの「序」も任冬梅(中国の研究者)による「解説」も行きとどいた内容で、今後の中華圏SFの紹介への期待を、いやがうえにも盛りあげてくれる。
(牧眞司)