【今週はこれを読め! SF編】オリジナル・アンソロジー・シリーズの三冊目。七篇を収録。
文=牧眞司
オリジナル・アンソロジー・シリーズの三冊目。七篇を収録。
作者それぞれの持ち味を活かした作品が居並ぶなか、もっとも印象に残ったのは堀晃「循環」だ。『Genesis 一万年の午後』に発表した「10月2日を過ぎても」につづく、大阪を舞台とし、作者自身の日常的な視点で語られる。紡績会社に技術者として就職、キャリアを重ね、事業部門を継承するために独立・起業する――これまでの仕事人生を、勤務先近辺の景観を眺めながら綴る。外形的にはSFというより私小説だ。しかし、技術者としての方向を定めることになった開発品にインスピレーションを与えた「原器」の存在がアクセントになり、SFの機微とでもいうべき独特の感覚を伝える。「原器」はいびつな円筒状の部品で、廃工場の資材置き場で見つけたものだ。「原器」がもともと何に使われていたのかはわからない。小さな謎が物語を淡く彩っている。
宮西建礼「されど星は流れる」も語りの地平は日常におかれ、題材こそ宇宙だが、飛躍的な空想はない。しかし、横溢するロマンチシズムは、SF読者の心の琴線にふれるものだ。太陽系外に由来する流れ星を、自分たちの手で見つけようとする高校生の物語である。
オキシタケヒコ「止まり木の暖簾」は、風変わりなファーストコンタクトを限定的視点で描いた異色作。宇宙的通商網が地球に来襲し、彼ら都合の貿易ルールで、アメリカの資産を根こそぎにしてしまう。合衆国の国籍を持つ者は全員が負債を負い、返せないものは身売りするしかない(銀河では人身売買が合法なのだ)。そうやって連れさられた少女スミレ(日本育ち)が、成功した星間行商人になって地球に帰還し、昔なじみ(大阪の食事処に集まっているひとたち)が迎える。彼らの喋り言葉が全篇に躍動する。
宮澤伊織「エレファントな宇宙」は、宇宙由来の高次元生命体(超新星爆発を被って発狂している)とアメリカ陸軍サイボーグ部隊の戦いを描く連作の第三弾。サイボーグ部隊に協力するのは、高次元生命と融合した憑依体の少女ニーナで、彼女が連作をつうじての主人公だ。ニーナには「友だちになれる高次元生命体を探す」という独自の行動原理があって陸軍の思惑通りに動かず、それが物語に面白いひねりを与えている。高次元生命体が繰りだす攻撃も、凄まじいスペクタクルも見もの。
空木春宵「メタモルフォシスの龍」は、恋に破れると発症する奇病が蔓延した世界での、悲しい愛が語られる。この奇病に罹ると、女性は蛇へ、男性は蛙へと身体が変化してしまうのだ。蛇化しはじめた女は、恋慕の対象(つまり自分を袖にした男)を追って喰らおうとする。追われる男は〈島〉へと逃げのび、〈島〉の対岸には、蛇の姿へと変わりつつある女たちが暮らす〈街〉がある。生物的変容を背景にした「男を喰らう女」の構図は、小野美由紀『ピュア』を髣髴とする。ただし、空木作品で特筆すべきは、そうした構図に収まりきらないマイノリティの問題にふれているところだ。
松崎有理「数学ぎらいの女子高生が異世界にきたら危険人物あつかいです」は、そのタイトルが示すとおりの異世界転生もの。その異世界では数学が禁断の思想とされているのがポイントで、主人公エミがなにげなく中学レベルの数学の知識を持ちだすと、「開明派だ!」と大騒ぎになってしまう。もともと数学が苦手だったエミが少しずつ数学の醍醐味に目覚めていく展開はベタといえばベタだが、物語のなかに組みこまれた数学パズルの面白さと相まって、先へ先へと読まずにいられない。
さて、『Genesis』の売りものは、創元SF短編賞の受賞作発表・掲載だ。こんかい(第十一回)は、468もの応募作のなかから、折輝真透「蒼の上海」が選ばれた。蒼類と呼ばれる藻(意識があるように振るまい機敏に変異する)に地上を支配され、人類は海底都市へ追いやられている。その海底都市から、蒼類に対抗しうる酵素を産出する珊瑚を求め、魔境と化した上海へ決死隊がやってくる。決死隊のメンバーは人間ではなく、DNA合成で造りだされ神経回路に制限を施された奴隷種族なのだ。そのメンバーのひとりの視点で、物語は進行する。ひじょうに複雑な設定で、作品内の限られた叙述(修辞なのか字義通りか判然としないところもある)から全容を把握するのはたいへんだが、それを押して余りあるほどイメージ喚起力がズバ抜けている。
(牧眞司)