【今週はこれを読め! SF編】夏への扉はなくても、猫がいればあたたかい
文=牧眞司
芝村裕吏『統計外事態』(ハヤカワ文庫JA)
ハインライン『夏への扉』が猫SFだとしたら、この作品もまちがいなく猫SFだ。主人公の数宝数成(すうほうかずなり)はそれなりに頭が良く技能を持ちながら、キャリアは順調とは言えず、恋人にはフラれ、心の支えは飼い猫だけだ。猫に名前はない。猫は猫だ。My 猫! The 猫!
『統計外事態』が『夏への扉』と決定的に違うのは、探しまわる扉(希望)がない点だ。それは数宝のせいではない。彼が暮らす2041年の日本は、少子高齢化、労働力不足、消費の低迷、地方の過疎化、長時間労働など、もう何十年間も没落がつづいている。そんな世の中で四十歳独身のフリーランス、統計分析官という専門職ではあるものの、週に五十時間働きつづけてようやく人並みの生活ができる数宝に、希望を持てというほうが無理だ。
この作品は、数宝の一人称でひどく饒舌に綴られる。その饒舌のなかに、近未来日本に山積する問題についての説明や、統計データに基づいた雑学トリヴィアが詰めこまれ、独白的なツッコミもあって、独特な空気を醸成する。良いあんばいにオタクっぽいのだ。事態打開の糸口にSFデータベースを使うくだりもある。
数宝は仕事の一環で、静岡の廃村の水道使用量が不自然に増加していることに気づく。データからはいくつも推論が可能だが、はっきりとした決め手はない。詳しく調査すべく現地を訪れると(出張費が支給されるわけではないので手弁当だ)、全裸の少女集団に襲われる。シチュエーションの異常さに加え、彼女たちの感情のない目、ぎこちのない挙動に、数宝は戦慄する。
ほうほうの体で逃げだした彼に、さらなる災いが降りかかる。国家を揺るがすサイバーテロの犯人として手配されてしまったのだ。なにものかが、数宝の経歴データを改竄したらしい。
とてつもない濡れ衣、そのうえ、唯一の慰めである猫からもはぐれた数宝は、大学時代のSF研の後輩である伊藤――驚いたことに日本政府の工作員だった――とともに、ふたたび静岡の廃村を訪れる。謎の核心はあそこにあるはずだ。
物語はテンポの良いサスペンスで展開するが、廃村での未知の存在との接触により、SF的色彩を深めていく。全裸少女の群れは、尋常ならざる知性を有していたのだ。彼女たちは、数宝に「我は要求します。分割された人間たちとの交渉を、あなたに」と言う。そして、全裸少女の一体――「那覇」という仮名で呼ばれる――が、数宝と伊藤に同行することになった。
はたして、数宝はわが身の潔白を証明し、実際に起こっているサイバーテロ(日本の年金運用資産が千分の一になっていた)の真相を究明できるか? 彼の武器は統計の手法だけだ。しかし、とりあえず、那覇に服を着せないと。そして、猫を見つけないと!
(牧眞司)