【今週はこれを読め! エンタメ編】田中慎弥の過激な挑発〜『宰相A』

文=松井ゆかり

 若い頃には「マザコン男とかありえな〜い!」ときゃぴきゃぴしていた女子たちが、息子が生まれると同時に「いつまでもママだけの〇〇ちゃんでいてね」と電光石火の変わり身の速さでマザコン推奨派に転じた例を、いったいどれだけ見てきたことだろう。私にも息子が3人おり、常日頃から子らの幸せのみを心から願っているつもりだが、いざ彼女など連れてこられた日には自分があっという間に豹変する可能性を否定はできない。

 本書のようないわゆる純文学作品を語る際には、文学性や芸術性といった要素が密接に絡み、素人がおいそれと口出しするのは気がひける。が、エンタメ作品としておもしろいかどうかといえば私はおもしろかったと思う(ただ拷問シーンは別。食欲が失せるので、お食事前の方はご注意)。主人公は、墓参りで久しぶりに母親の故郷を訪れようとしている作家のT(←暗示的)。母の夢を見ながら駅に到着したTは、そこで強烈な違和感を覚える。「待った、O? もう一度見るとホームの案内板には、O、とアルファベットの一文字だけが書いてある。お、で始まる筈の駅名がOの一文字で」。違和感はそれだけに留まらず、アナウンスは英語のみ、駅を行き交う客はアングロサクソン系ばかり、とどめはT以外の全員が濃い緑色の軍服めいた服を着用しているのだ。

 改札を通り抜けることに失敗したTは、拘束され軍の駐屯地に送られる。そこに現れたのは、この地で初めて遭遇した自分と同じく日本語を話すアジア系の女(しかし、緑色の服は着ている)。女の説明によれば、現在日本はアングロサクソンすなわち「日本人」によって統治され、かつて日本人と呼ばれていたモンゴロイドは「旧日本人」と見なされている。完全なる民主主義国で、アメリカとしっかり手を結んでおり、平和を乱そうとする某国々とは戦争状態。政治体制については全般的に日本人(=アングロサクソン)によって形成されているが、首相は旧日本人(=モンゴロイド)の中から選ばれる。日本国民には出生と同時に国からナショナル・パス(N・P)が発行され、現在の正当な日本人ではない旧日本人には所持が許されていない。

 横柄で自分たちの正当性を声高に主張する日本人、卑屈で政府が設定した居住区暮らしに甘んじる旧日本人、日本軍内で働きながら本当は何を考えているのか悟らせないアジア系の女、さらには異常に肥大した局部を有する首相。強烈なキャラクターに囲まれたTの心をよぎるのは、「紙と鉛筆」、「ゴッドファーザー」、そして「母」だ。

 本書の著者は、「あの」田中慎弥。もちろん読者のみなさまの多くは、「あの」芥川受賞記者会見をご記憶なさっていることだろう。「松井ゆかりが選ぶ印象に残った芥川&直木賞受賞会見」ではぶっちぎりの1位である(ちなみに2位がデビュー当時からの大ファンだった三浦しをん氏、3位がアイドルの記者会見かと見まごう綿矢りさ&金原ひとみの両氏だが、田中氏のインパクトには遠く及ばない)。冒頭で私がマザコンの話を持ち出したのは、田中氏とご母堂の関係性に並々ならぬ関心を持っているからだ。田中氏は高校を卒業して以来、一切働いた経験がないという。デビューが30代前半、芥川賞の受賞時は39歳。賛否両論を巻き起こした「あの」会見について私は肯定派だが(キュートでとてもよかった)、それは身内でもない気楽な読者だからそう思えるだけであって、もし田中氏が自分の息子だったら果たしてご母堂のように見守っていられただろうかと思うのだ。将来小説家としてやっていけるようになることをたとえ未来が見えてわかったとしても、気長に待ち続ける自信がない。きっと田中母子の強い結びつきは、マザコン的な言葉では正確に言い表せないものだろう。私もご母堂のような広い心を持った母親になれればいいのだが(いや、でもやっぱ息子たちには働いてほしいわ)。

『共喰い』から数えると約3年、物語のスケールは大幅にアップし、世の中に深く斬り込んでいこうという意気込みの感じられる作品となっている。作家の過激な挑発に、読者もあえて乗ってみようでありませんか。

(松井ゆかり)

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