【今週はこれを読め! エンタメ編】古都に暮らす三姉妹の日々〜綿矢りさ『手のひらの京』

文=松井ゆかり

 京都府出身の(「京都市出身」というのは抵抗がおありであるらしい)国際日本文化研究センター教授・井上章一氏の『京都ぎらい』が話題になったのは1年ほど前のことだっただろうか。生粋の京都人(=洛中出身者)への複雑な思いを綴った新書であるが、京都を訪れたのは中学の修学旅行と20年ほど前の2回だけ、友人知人にも京都方面の人がいない私にとっては、いまひとつダイレクトな衝撃を受けたという感じがしない。「どの地域にも感じのいい人もいれば悪い人もいる、ということではないのかなあ?」とのんびり思っている私は、洛中洛外といった線引き以前にド田舎者なのだろう(私自身の生まれ育ちこそ都内であるが、父は福岡母は茨城の地方出身者。正確な標準語のイントネーションとはズレがあるらしく、ときどき出身はどこかと聞かれる)。あ、でも『京都ぎらい』はおもしろく読ませていただきました。

 というわけで、京都のディープさについては完全に他人事という感覚でいられるので、『手のひらの京』にみられる京都の町並みや自然、風俗などをニュートラルに楽しむことができた。本書では、京都(左大文字の送り火がすぐ近くに見える立地)に住む奥沢家3姉妹それぞれの心情が細やかに描かれる。長女の綾香は31歳の図書館職員。早く子どもがほしいとかなり思い詰めているのに、周囲はその気持ちに気づいてくれないことに焦りを感じている。次女の羽依は大企業の一般職OL。典型的なモテ型で、男子にはもちろんのこと女子に対してもそつなく会話できるが、負けず嫌いゆえ盛大な啖呵で周囲を圧倒することも。三女の凜は理系の大学院生。この先もずっと京都に住み続ける未来を想像すると息が詰まりそうになり、東京での就職を希望しているが両親にはまだそのことを話せていない。

 結婚出産願望やお局とのバトルといったことについては、本人たちにとっては大問題であるとはいえ、他の地域でも起こり得るものではある。そういう意味では、「京都を離れて暮らしてみたい」という凜の気持ちが、いちばん京都という土地柄ならではの悩みなのかなという気はする。もちろん、他の土地に住みたいという気持ち自体はそれこそどこの地域の人間でも思うことだ。しかし、実際に京都で生まれ育った凜には、「一つ通りが変わるだけでがらりと変わる町の雰囲気、きっと他の都道府県にはない複雑な京の歴史が絡んだ、なんともいえない閉塞感。京都であり故郷であるこの地に長年いると、決して嫌いではなく好きなのに、もやもやした感情が澱のようにたまってきて、もがくときがある」という感覚が生まれるのだろう。祇園祭の宵山や五山の送り火(いわゆる大文字焼き)、夜の嵐山といった京都の風物とともに描かれる凜の思いは、京都と縁のない者からしたら、雅やかのひと言に尽きると思うのだけれど。新潮社のPR誌「波」2016年10月号によれば、著者は川端康成の『古都』を読みこんなふうに京都を描けたら、と思われたそうだ。わかる気がする。

 また、それと同じ頃に読んで影響を受けた小説になぞらえて、この物語は現代版『細雪』とも称されているとのこと。昨年出版された三浦しをん氏の『あの家に暮らす四人の女』(中央公論新社)も同様のキャッチコピーが冠されていた。複数の女性たちが集まることで起きる化学反応は、作家の創作意欲をかき立ててやまないものなのだろうか。本書の綾香たちは3姉妹だが、やはり同性のきょうだいだけで育つのと異性のきょうだいとともに育つのでは、何かしら違いはあるだろうなと思う(我が家の息子たちは男ばかりの3兄弟で、特に幼少の頃は同性しかいないとこんなにも"全員一丸となって"感が強いものかと驚かされたものだった。私は弟との2人姉弟だが、我々のような"姉が見ているから「キャンディ・キャンディ」のアニメ以外のチャンネルに変えられない""弟のミニカー遊びに付き合わされる"といったストレスとは一切無縁)。

 奥沢3姉妹も性格はかなり違うが仲がよく、仕事や恋愛に関する悩みなどをしばしば相談し合っている様子は微笑ましい。同性だからこその打ち明け話という感じはちょっとうらやましくもある(まあ、同性同士でも険悪なきょうだいもいれば、異性であっても何でも話し合えるきょうだいもいるだろうが)。何かのインタビューで、綿矢さんご本人は「凜の気持ちに最も共感する」とおっしゃっておられたと記憶している。私も3人の中ではいちばん凜のことを気に入った(ラブネタはもうええわ)。研究に没頭するリケジョで、自立心旺盛だし、しかもおばあちゃんに優しい。ただ、もし私が凜だったら東京へ行こうと思ったかどうかはわからない。まあ、好きなキャラクターと100%同じ気持ちということもないからそれはよし。

 どちらかというと、共感度は姉妹たちの母親に対しての方が高いかも。夫が定年になったのと同じタイミングで「私も主婦として定年を迎えます」(=「二度と食事を作らない」宣言)と言い放った彼女に、最初は面食らった家族たち。言ってみたいぜ、私も。彼女が料理を作らなくなってから趣味習い事行楽へ出かけていくようになったことについては別になんとも感じないが、毎食のおさんどんから解放されているのはめちゃめちゃうらやましい。もしかして、この小説で破天荒ナンバーワンなのは奥沢母かも。

 いま調べてみたら、綿矢さんと金原ひとみさんが芥川賞をW受賞されたのはもう12年前のことだった。今年5月第4週の当コーナーでも述べたが(よろしかったら、バックナンバーをお読みになってみてください)、"綿谷りさ金原ひとみ前・綿谷りさ金原ひとみ後"で芥川賞への注目度は劇的に変化したと思っている。正直あの当時はおふたりが若くてきれいなお嬢さんたちであるという側面がよりクローズアップされていたと思うが、綿矢さんも金原さんもしっかりと書き続けていまや立派な作家になられたなあと感慨深い。綿矢さんは今回京都を題材にしたのも初めてのことだが、家族というものに焦点を当てて描いたのも初めてだと語られている(前述の「波」10月号にて)。引き続き、これからの綿矢作品に期待!

(松井ゆかり)

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