【今週はこれを読め! エンタメ編】世界が変わることを望んだ少年少女たちの物語〜虻川枕『パドルの子』

文=松井ゆかり

 「パドル」とは何だろう。私がかろうじて知っていたのは、カヌーを漕ぐときの道具だったが、表紙を見る限り、この少年少女たちはカヌーイストに見えない(カヌー小説だったら、さすがにイラストでもアピールするだろう)。そう思いながらページを開けてみると、paddleという英単語の意味が掲載されていた。第1の意味は「水たまり」。

 中学2年の始業の日、水野耕太郎は交友関係のなんやかんやで大騒ぎするクラスメイトたちから距離を置いていた。しかしそのとき、背後から自分にだけ向けられたもののように感じられる声が。「嫌になっちゃうよね、春って」と聞こえたその声は、後ろの席に座る三輪くんのものだった。彼とだったらなかよくなれるかもという予感の通り、急速になかよくなったふたり(男同士なのにデキているのではとささやかれるほど)。しかし転勤族家庭で育つ三輪くんは、水野と知り合ってから3か月でまたも引っ越すことが決まる。それがショックすぎて、水野は徐々に三輪くんと過ごすのが気まずくなってしまった。三輪くんにきちんとあいさつもできないまま離ればなれになってしまった水野は再びひとりぼっちで過ごすようになる。ある日の昼休み、施錠されているはずだった屋上へのドアが開いているのを知り、外へ出てみた水野。すると屋上には大きな水たまりがあり、そこで学校中の有名人である女子、水原が泳いでいた。

 水原は成績優秀で、水泳部ではエースと文武両道であるうえに、美人。なぜ屋上に人が泳いだり潜ったりできるような水たまりがあるのか混乱する水野の目の前で、潜ったままなかなか浮かんでこない水原。結局、5時間目には遅刻してしまう。そして、大量の泡が吹き出た後、水たまりは痕跡を残さず消え、水原が姿を現す。彼女は水野に口止めをし、明日もここへ来るようにと告げて去って行った...。

 「パドル」とは何だろう。水野の心にも疑問がわき上がった。本書における世界で「パドル」が何を示すのかは、ぜひお読みになって確かめていただきたい。これは夏休みに取り壊されてしまう校舎の屋上で、世界が変わることを心から望んだ少年少女たちのひと夏の物語。好きな相手を思うことが、他の人を傷つけることもある。見知らぬ多くの人は助けられても、大切なひとりを救えないこともある。水野と水原が最後にとった胸を締め付けられるような選択の結果を、ひとりでも多くの読者の心に刻みつけてもらえればと願わずにいられない。

 本書は第6回ポプラ社小説新人賞受賞作(ポプラ社の文学賞といえば、水嶋ヒロこと齋藤智裕さんの『KAGEROU』が有名だが、こちらはポプラ社小説大賞)。以前当コーナーでも紹介させていただいた『お任せ!数学屋さん』の向井湘吾氏や、『ビオレタ』の寺地はるな氏も過去の受賞者であるそうで、新しい才能を続々と生み出している注目の賞といえよう。著者の虻川枕氏は、ゲーム会社のプランナーやシナリオライターだった経歴の持ち主だそう。SF風味の込み入ったストーリーを鮮やかにまとめ上げる力は、そのときに培われたものなのかも。

(松井ゆかり)

« 前の記事松井ゆかりTOPバックナンバー次の記事 »