【今週はこれを読め! エンタメ編】親バカの父から見た宮沢賢治の生涯〜門井慶喜『銀河鉄道の父』
文=松井ゆかり
ときどき「子どもたちも大きくなって、やっと子育てが終わった」的なもの言いをする人がいるが、耳にするたび違和感を覚えてしまう。どんなに子どもが大きくなっても、子育てが終わることはないんじゃないだろうか(「子育てが一段落する」はわかる)。それは例えば、"二世タレントである子どもが不始末をしでかしたら、親である芸能人は活動を自粛しろ"とか、そういうレベルの話ではない(まあ、親があんまりケロッとしてたら多少イラッとするかもしれないんだけど)。親は子どもを見守り、必要があれば精神的な支えとなる、それは子どもが成長しても変わらないということだ。最初の子を出産したとき、もちろん心からうれしかったが、「これから自分は死ぬまでおかあさんなんだ」と気づいてしっかりしなければと考えたことを思い出す。
題名からある程度予想される通り、本書の主人公は宮沢賢治の父・政次郎である。政次郎には、昔ながらの封建的な父親像に忠実であろうとするところといわゆる親バカ全開で子どもには甘々な部分が共存している。どちらの態度をとるかでしばしば揺れ動く政次郎は、現代人の眼から見るとなんとも微笑ましい。"看護は学のない女の仕事"というのがほぼ共通認識であった時代に、赤痢で入院した賢治の看病を連日泊まり込みで行ったというエピソードなどは、生半可なイクメンにはとても真似できないだろう(そのため、自分にも赤痢がうつってひと騒ぎというところも破格である)。ほんと、めちゃめちゃ子煩悩で子育てにどんどん関わりたいと思う父親たちは、昔どうしていたのだろうか。
物語は、関西に出張中の政次郎が滞在先の旅館で電報を受け取るところから始まる。その電報は、政次郎の初めての子で家業の質屋・古着屋を継ぐ跡取り息子となるはずの赤ん坊の誕生を知らせるものだった。誕生後1か月以上たってやっと帰宅できた政次郎と赤ん坊の対面のシーンがまさに、自分の子に対してどうふるまっていいか右往左往する父親の心情を描き出している。赤ん坊をあやしてやりたいけれど、家長の威厳を損なうことはできないとがまんする父親。急に大泣きされて狼狽する父親。生まれて間もない息子を「賢くなる」と言い切る父親。
それにつけても、賢治の奔放さよ。どこまでが史実にそっているのかはわからないが、物語前半の賢治は読者の多くが持つ「宮沢賢治=純朴」のイメージを裏切るものではないだろうか。おぼっちゃん育ちでしょっちゅう親にお金の無心をするわ、飴工場を作るだの人造宝石を売るだの夢みたいなことばっかり言ってるわ、ついでに子ども時代には火事を起こしておきながらしらを切るわと、けっこうな問題児である。それだけに、政次郎のいじらしさや親としての懐の深さが胸を打つのだ(とはいえ、これ最終的に賢治がまっとうな人間になったからいいようなものの、こんな風に甘やかしてたらいつ道を踏み外してもおかしくなかったよなとも思う)。
なかなか腰の定まらなかった賢治が作家としてやっていく決心を固めたのは、すぐ下の妹でいちばんの理解者だったトシのおかげなのはもちろんだが、政次郎の功績も大きかったことがうかがえる。読者のみなさんにはぜひお読みになって、政次郎の親としての覚悟に触れていただきたい。「無事に生まれてくれればそれでいい」と思っていたはずが、子どもに対していろいろ期待してしまうのは親として当然といっていいだろう。それでも最終的に親の気持ちというのは、ほとんどの場合見返りを求めない愛情に集約されるもので、政次郎が賢治をサポートし続ける姿に共感する親は多いと思う。いろいろ気をもませたとしても、賢治が短い生涯において政次郎への感謝を忘れずにいたのであればいいなと願っている。子に先立たれてしまった親にとっては、せめてもの慰めになっただろうから。
著者の門井慶喜氏は、2003年「キッドナッパーズ」で第42回オール讀物推理小説新人賞を受賞。デビュー作『天才たちの値段』(文春文庫)をはじめとする、美術品の真贋を舌で見分ける天才美術探偵・神永美有が活躍するシリーズや、弁論術というカリキュラムがあるエリート校・雄弁学園が舞台の『パラドックス実践 雄弁学園の教師たち』(講談社文庫。個人的にはこの作品がNo.1です)など、「これはおもしろい!」と思う作品を立て続けに読んだことで期待度はマックスに。ところが近年、門井氏は時代小説の方に軸足を置いておられるようで、現代ものファンとしては少々物足りなさを感じていた。そこへ登場したのが『銀河鉄道の父』。厳密には現代ものとはいえないかもしれないのだが、明治以降はまだ近しい感じがするので...。実は宮澤賢治作品のよさもいまひとつピンときていなかった私だが(「やまなし」とか意味わかります? 「クラムボン」って何?)、ちょっと読み直してみようかと思っている。(比較的新しい)時代小説のおもしろさにも触れられたし、宮澤賢治についても身近に感じられるようになったし...とメリット満載ではありますが、やっぱり現代ものも読みたい! 美術探偵シリーズの続編、切にお待ちしてます!
(松井ゆかり)