【今週はこれを読め! エンタメ編】運命に翻弄された棋士たちのミステリー〜柚月裕子『盤上の向日葵』
文=松井ゆかり
昨年誕生したプロ棋士・藤井聡太四段のおかげで、空前のブームが到来した将棋界である(羽生さんのときもすごかったとは思うが、一般人にここまでアピールしたのは初めてではないだろうか。ひふみんのときのことはさすがにわからない)。私も将棋や囲碁の棋士のように地味ながら聡明なタイプがもともとどストライクなので、まさに自分の息子より若い男に入れあげている状態だ。
...と、そんなミーハー心を厳しく一喝する役割を果たすのが本書。将棋の世界を描いた重厚な物語となっている。冒頭、将棋のタイトル戦である竜昇戦(架空の名称)の第七局が行われる山形県天童市の駅に、ふたりの刑事が降り立つところから始まる。先に四勝した方が勝者となるタイトル戦で第七局までもつれ込んでいるのは最後の最後まで白熱した勝負になっているということや、将棋の駒生産量が日本一である天童市が舞台となっていること、また刑事のひとり・佐野直也はかつて奨励会に所属しプロ棋士を目指していたことなどは、将棋ファンの読者にとっては見逃せないポイントだろう。もうひとりの刑事である辣腕でたたき上げの石破剛志とともに佐野が乗り込んだ竜昇戦第七局の会場では、名人になるために生まれてきた男と呼ばれる若き天才棋士・壬生芳樹竜昇と、東大卒で奨励会を経ずに実業界から転身して特例でプロになった上条桂介六段が戦っていた。佐野と石破は、埼玉県にある天木山山中から白骨化した遺体が発見された事件を捜査している。その遺体は、名工・初代菊水月が作った六百万円の価値があるとされる将棋の駒を抱くように埋められていたのだ。
佐野の視点で語られる序章と第一章に続く第二章では、長野県の諏訪に暮らす引退した元小学校教諭の唐沢光一朗が中心人物となる。大の将棋好きである唐沢は、ひょんなことからある小学生と知り合いになる。この小学生が上条桂介だ。母親が亡くなり、ギャンブル好きの父親からは虐待を受け、孤独な日々を送る桂介。子どものいない唐沢は、彼に食事と衣服を与え、将棋を教える。桂介の並々ならぬ才能に気づいた唐沢は、さらに本格的に将棋を学べる機会を与えようとするが...。
初代菊水月作の名駒はなぜ遺体とともに埋められたのか。桂介はこの事件にどのように関わってくるのか。その謎を解くには、登場人物たちのたどってきた人生を知らなければならない。彼らはもしも将棋と出会わなければ、もっと心穏やかな人生を送ることができたのだろうか。それとも、どんなにつらい思いをしたとしても将棋とともに歩む人生は、彼らにとってかけがえのないものなのだろうか。運命に翻弄された勝負師たちの慟哭が聞こえるかのような一冊である。
プロになるのは、いや、プロになっても棋士として生きるのは茨の道なのだということが本書を読むと改めてわかる。一方、プロになれなかった者の苦悩ももちろん深い。あと一歩のところでプロへの道を閉ざされた佐野にとって、捜査で触れる将棋の気配のひとつひとつが胸を刺すものであったことは想像に難くない。こういった事情は将棋好きならなおのこと楽しめる要素かもしれないが、駒の動かし方すら知らないという読者にも臆せず読んでいただきたいと思う。本書で書かれるのは将棋に関することだけではない。より高いところを目指す志、それでも起こりうる挫折、親と子の愛憎、人の心の温かさと冷たさなど、ほとんどの人間にとって無関係ではいられないものばかりだ。どれほど将棋に取り憑かれていても、あるいは犯人を挙げるために邁進していても、どんな棋士も刑事も感情を捨て去れはしないことに哀しさと愛おしさを感じる。
著者の柚月裕子さんは「意外性の女」という印象。たおやかな美人でありながら、デビュー以来いわゆる男くさい作品を多数執筆。その路線が定着してきたと思っていたら、書評誌「ダ・ヴィンチ」11月号にて「おそ松さん」の書き下ろしスピンオフ小説・「黙れおそ松」を発表。Wikipediaによれば、「子どもの頃から男の世界といわれる物語が好き」で「『仁義なき戦い』や『県警対組織暴力』の大ファン」である一方、「趣味はトールペイントやソーイング」。いや、まったくもってけっこう。これからも安定した意外性(矛盾した言い方だが)で、我々読者を楽しませていただけるよう願っています!
(松井ゆかり)