【今週はこれを読め! エンタメ編】嫉妬渦巻くバレエミステリー〜秋吉理香子『ジゼル』

文=松井ゆかり

 「ジゼル」、流行ってます? いや、古典バレエに流行というものがあるかどうかも知らないんですけど、当コーナー9月13日更新の『ジゼルの叫び』(雛倉さりえ/新潮社)もジゼルものだったので(よろしかったらバックナンバーをお読みになってみてください)。どんなアスリート(バレエもスポーツのくくりでオッケーでしょうか? 肉体を酷使することによるパフォーマンスという意味では、スポーツとしての側面もありますよね)も身体的な不調と無縁ではいられないと思うが、バレエもまた相当な過酷さを要求されるものだろう。まさに、優雅に滑っているように見える白鳥が、水面下では驚くべき速さで水をかいているように。

 個人的なイメージではあるが、フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミング(あっ、アーティスティックスイミングっていう名称になったんでしたね)などの芸術点が重要な評価ポイントとなるスポーツというのは、競技者にとってさらにハードなものになるのではないだろうか。"より多く得点した方が勝ち""より遠くへ飛んだ方が勝ち"という評価軸は、素人でも納得しやすい。しかし、"より美しい方が勝ち"を決めるのは至難の業だ。明らかに技術的な面で差がある者同士をくらべるならともかく、ほとんど拮抗した実力の持ち主たちに対してどうやって優劣をつけたらよいのか。薔薇と百合のどちらが優れているか、答えられる者がどれくらいいるだろう。それは本書においても重要なポイントとなってくる。実力がある順に、あるいはバレエ歴の長い順に、舞台で大きな役をもらえるわけではない。

 主人公・如月花音は東京グランド・バレエ団に所属する19歳の団員。同期で仲のいい斎藤絢子・園村有紀子・太刀掛蘭丸とはいつも一緒に行動し、周囲から「仲良しカルテット」と呼ばれている。東京グランド・バレエ団は今年が創立十五周年の節目の年。記念公演の演目が何になるのか、みな気もそぞろだった。そして、発表された演目は「ジゼル」。団員たちに驚きが走る。設立当初にジゼル役でデビューし天才バレリーナとうたわれた姫宮真由美がバレエ団の資金を横領したうえに刃傷沙汰で命を落とすという事件が起き、「ジゼル」はずっと封印されてきたからだ。そして花音にとってはもうひとつ大きなニュースが。主役に次ぐ大役であるミルタ役に抜擢されたのだ。

 「ジゼル」の主役はもちろんジゼルである。心臓が弱いが踊りが大好きなジゼルは、貴族の若者・アルブレヒト(ロイスという農夫に身分を偽っている)にだまされるも、彼を復讐の女王から必死で守ろうとする健気な村娘だ。そして、この復讐の女王がミルタ。「ジゼル」は二幕構成のバレエだが、第二幕はこのミルタ役の完成度によって出来不出来が決定するといってもよいほど重要な役どころだ。蘭丸はジゼルに恋する幼なじみのヒラリオン役で、こちらも男性パートではアルブレヒトに次ぐ大きな役。ミルタの元に夜な夜な集う、もとは男にだまされて結婚前に亡くなった未婚の娘たちだったウィリという精霊の中でもリーダー格である二人組・ドゥ・ウィリには、絢子と有紀子が選ばれた。しかし、前に所属していたバレエ団ではミルタを踊った経験もある有紀子はこの配役を不満に感じ、花音にそれをぶつける。ぎくしゃくした空気の中レッスンが開始されるが、蘭丸が真由美の亡霊を見たと騒ぎになったことから過去の悲劇が呼び覚まされる。そして新たな事件が...!

 彼らが踊るバレエが美しければ美しいほど、人間関係のごたごたはより醜く感じられる。バレエ団きってのプリマ・バレリーナであり創立者の娘である紅林嶺衣奈がジゼルを、同じく看板スターで芸術監督でもあり振り付けや演出までこなす蝶野幹也がアルブレヒトを踊るのはしかたないとして、他の役は? 役に大小はないというのはやはり理想論であり、「私の方がうまいのに、なぜあの子が」という嫉妬が渦を巻く。いや、そういった負の感情を持つのは若者に限ったことでもないのだ。高みを目指すとは、現状に満足せず進み続けるということである。才能を持つ者は次々に現れ、今日は自分が頂点に立てたと思っても明日はどうなるかわからない。次々に追い詰められていく彼らの姿に、自らを重ね合わせなかった団員がいただろうか。

 著者の秋吉理香子さんはいま、新たなるイヤミスの女王候補の筆頭といっていいだろう。今年映画も公開された出世作の『暗黒女子』から、ミステリー好きの注目を集め続けている。ただ私が最も強くおすすめしたいのは、『機長、事件です! 空飛ぶ探偵の謎解きフライト』(KADOKAWA)。天才的な操縦の腕を持つ美貌の女性機長と彼女を尊敬する新米副操縦士のラブコメ・ミステリーである。私も好きになっちゃいました、機長!

(松井ゆかり)

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