【今週はこれを読め! エンタメ編】家族の幸福の陰にある秘密〜ローレン・グロフ『運命と復讐』
文=松井ゆかり
「人間誰しも秘密のひとつやふたつはあるわよ」と言える人の秘密は、たいした秘密ではない。本書の主人公のひとりである妻のマチルドの抱える秘密の重さ、そして多さは、たいした秘密を持たない私などにとってはよくここまで隠しおおせたものだと感心させられるレベルだ。
もうひとりの主人公は夫のロット。第一部はロットの視点で物語が描き出される。裕福な家に育ち利発だった少年時代、プレップスクールに入れられて初めは鬱屈していたものの演劇に目覚め人気者へと登り詰めた高校時代、そしてマチルドと出会った大学時代...。母親の反対を押し切ってマチルドと結婚したロットは俳優の道に進むものの、なかなか芽が出ない日々が続いた。しかしそんなある日、とうとう彼の才能が花開く。
ロットが脚本家として成功したことによって、より一層の幸福と揺るぎない安定を手に入れたかにみえたふたり。だが、少々単純なところはあるが誰からも好かれる人のいいロットの心に、マチルドへのある疑念が芽生える。真相が明らかになるのは、マチルド視点の第二部に入ってからだ。今度は一転して、マチルドの来し方、そして彼女が何を考えて生きてきたのかが語られる。同じ空間で暮らし、同じ話をし、同じできごとに遭遇するという経験を積み重ねても、家族ひとりひとりがどのように感じているかはそれぞれに違うのだということを、読者は改めて思い知らされることになるだろう。
正直なところ、登場人物たちにはあまり共感できない部分も多かった。ロットは天真爛漫でありすぎて聡明さに欠ける気がしたし、マチルドには同情すべき点はあるものの何を考えているのかわからない不気味さが感じられる。彼らの家族や友人たちも思い込みが激しかったり自己主張が強かったり、というタイプが多い。特にロットの母親・アントワネットの不遜さには辟易した。しかし読み進むにつれて、これはこれで当然のことかもしれないとも思えてきた。運命は自分自身で切り拓いていかなければならず、それを侵害しようとする者には容赦なく復讐を加えなければ大切なものを守れないときもある。必死で自分と家族たちの生活を支えようとする彼らを、どうして責められよう。華々しく脚光を浴びようが、平穏無事にみえようが、終わりの日が訪れるまでは右往左往しながら生きていくしかないのかもしれない。
本書は著者ローレン・グロフにとって長篇三作目となるそう。新潮社のPR誌「波」によると、「書評誌で軒並み高い評価を受け、全米図書賞の最終候補に。2015年のAmazon年間総合ベストブックにも選ばれ、オバマ前大統領もその年のベストに挙げるほどの人気作品となった」そうである。500ページにも及ぶ長い小説であるが、途中でダレることもなく密度の濃い作品となっていると思う。「(ウィスコンシン大学大学)在学中に発表した短篇が雑誌に掲載されて注目を浴び、そのひとつが村上春樹編訳のアンソロジー『恋しくて』に収録されている」とのことで、原稿の長さにかかわらず実力を発揮できる頼もしい作家であるらしい。
(松井ゆかり)