【今週はこれを読め! エンタメ編】片隅の人々に心を寄せる短編集〜小川洋子『口笛の上手な白雪姫』
文=松井ゆかり
年代の近い作家が書いた本を読むのは格別の体験である。小川洋子さんは私より6学年ほど年長だが、50を過ぎてこの程度の差は同年代の範囲内だ。この短編集のおかげで、黒電話のことを(「先回りローバ」)、洋服には刺繍というものがしばしば施されていたことを(「亡き王女のための刺繍」)、何年かぶりに思い出したのだった。年上だったり若かったりする作家の作品ももちろん興味深いのだが、自分がこの時代にはこんな視点でさまざまなもの・ことを見ていたなあと改めて思い起こせるのは、やはり同年代の作家の文章によってだ。
年代の近さ以上に格別なのは、感覚が近いと感じられる作家の本を読むことである。繊細さでは右に出る者がないといっていい作家である小川さんと自分が近いと語るのもおこがましいが、善意の中にも不穏さを秘めた著作の数々には共感を抱かずにいられない。ゴシップ雑誌に載っていたある映画の撮影風景の写真について、5人写っている中でひとりだけ名前を載せてもらえない女性が気にかかってしょうがないとか(「かわいそうなこと」)、近所を走る電車の廃線を阻止するためにほぼ毎日利用するようになった曾祖父と孫があくまでも事情があって乗っているという雰囲気を醸し出すために毎回違ったストーリーを創り上げているとか(「盲腸線の秘密」)、意表を突く着眼点に心を揺さぶられる。小川洋子の小説にはいつでも、世の中の片隅でひっそりと生きる人々が登場する。人間にはみな個性があるとはいっても、一般的な尺度から大幅にはみ出した彼らの姿に、私だけではなく実はほっとする気持ちを持つ読者は多いのではないだろうか。
本書には8つの短編が収録されているが、とりわけ胸を打たれたのは「かわいそうなこと」である。野球が得意な兄がもともとスコアブックとして使っていたノートに、自らが見つけたかわいそうなことを記録し続ける少年の物語だ。地球上で最も大きな動物であるがゆえに骨の状態で博物館にさらされ心臓の模型を遊びものにされるシロナガスクジラや、『管歯目ツチブタ科に属するたった一つの種。先祖は不明。親戚のいない天涯孤独の動物』と動物図鑑に記載されるツチブタ。あるいは前述の、雑誌の写真で名前を記載されなかった女性も、リストに入れられている。率直に言って、もし自分の息子たちがかわいそうなことノートをつけていたら、相当心配するに違いない。しかしそう言いながら、自分自身は彼と同じ側の人間であると強く感じる。シロナガスクジラについてはもしかしたらスルーしてしまうかもしれないが、もしツチブタの記述に気づいたら心を痛めると思うし、名前の載らない女性については必ずや気づく自信がある。スポットライトの外にも誰かがいることなど気づきもしない人々の中にあって、孤独を抱えて生きる者に心を寄せる少年と彼を生み出した著者・小川洋子がいてくれることが、どれほどこちら側にいる私たちを支えてくれることだろう。少年が感づいた通り、世の中はかわいそうなことばかりでできあがっている。しかし少年よ、人生には幸せや喜びも同じく存在し、生きる価値があるものである。
小川洋子氏といえば、いまさら詳細を語る必要もないほど読書好きにとってはおなじみの作家であろう。と言いつつ、ちょっとだけ小川さんについて書いてみる。「文学少女」という言葉はまさに小川さんのためにあると思う(辞書の「文学少女」の項目に、写真を載せてもいいと思う)。一方で、ガチの阪神タイガースファンとしても有名(ギャップ萌え)。また佐野元春ファンでもあり、短編集『アンジェリーナ』(角川文庫)は彼の代表曲を題材にとって書かれたものである(初めて読んだ小川作品がこれ)。つまり、小川さんは素晴らしい作家だということを、私なりに補足してみました(蛇足)。
(松井ゆかり)