【今週はこれを読め! エンタメ編】太宰治が現代日本にやってきた!〜佐藤友哉『転生! 太宰治』
文=松井ゆかり
最近は、彼らの著作以上に、文豪という存在そのものに注目が集まる世の中であるようだ。書店に行くと、文豪の人気ランキングや作家同士の友情や彼らが書いた恋文についてなどの本(美麗イラスト付きのものも多い)が売り場の一角を占めていることも。昨今ではバリバリの現役作家にも「文豪」呼びが適用されたりするようなので、"「文豪」と呼ばれるのは没後"というイメージを持っていたが改めなければならないかもしれない。現代作家を「文豪」認定するとすれば、大江健三郎や筒井康隆あたりだろうか。最近の流行りである「文豪ストレイドッグス」に登場する作家も含めるなら、綾辻行人や京極夏彦なども文豪ということに? さすがにカバーする範囲が広い気も...(綾辻先生も京極先生も、言うまでもなく素晴らしい作家でいらっしゃいますが)。
なぜ現役作家の「文豪」呼びに違和感があるかというと、やはり亡くなってからどのように評価されているかというところも重要だと感じるからだ。そこへ行くと、夏目漱石や芥川龍之介、川端康成あたりの文豪感は並々ではない。そしてもちろん忘れてはいけないのがこの人、太宰治である。
太宰治が現代日本に転生する。私はあまりライトノベルには詳しくないが、ラノベ界においては少なからぬ数の主人公たちが転生をしているようだということには薄々気づいていた(書店に並んだラノベの表紙を見ると、あちこちに「転生」の文字が躍っているもの。このあたり、主人公の考察も笑いを誘う)。転生先は異世界が多いように見受けられるけれど、1948年からやって来た人間には、2017の世も十分異世界に見えるだろう。心中したはずであるのに(作中で「サッちゃん」と呼ばれているのは、ともに入水した愛人・山崎富栄のあだ名であるらしい)、なぜずぶぬれで三鷹を歩いているのかと訝しむ太宰の心情の吐露から物語は幕を開ける。自分の知る三鷹町とは違っていることに恐れをなしつつ、飛び込んだコンビニでスポーツ新聞の日付を見て、ここが自分が生きていた時代ではないと知った太宰は眠さのあまり意識を失う。今度こそ死ぬものと思った彼はしかし、見知らぬ美少女のいる部屋で目覚めた...。
この後の太宰は、その美少女の姉と問題を起こしたり、まだまだ死のうとしてみたり、現代でも自分の本が読まれていることを知って意気揚々としたりと大忙し。さらには自分を軽んじた文壇に対し、意表を突くやり方で復讐を企てるというハチャメチャぶりも披露する。太宰治には死に取り憑かれるような陰気な側面もある一方、ユーモアにあふれた作品も少なくないことを考えるとけっこうお茶目な部分もあるのではと思うが、本書は彼のユーモラスさがはじけた内容となっている。そのポップさを可能にしているのは、「太宰が憑依したんじゃねえか」と思うくらい乗りに乗った、著者・佐藤友哉の筆力であろう。もう、全編ナイスコメントの宝庫(太宰治本人の文章や発言なども盛り込まれているのかもしれないが、とすれば引用のチョイスも絶妙)! 太宰治の偉大さとしょうもなさを見事に描ききっているといえよう。とはいえ腐っても作家、コメディ風味で書かれてはいても、太宰の文学への真摯な姿勢にはぐっとくるものがある。
となると気になるのは、真の太宰ファンが本書を読んでどう感じるのかということだ。私自身は太宰を嫌いではないが、どちらかというと10代の頃の方がより共感していたように思う(「自分が歳をとってからの方が、よさがわかるようになった」と思う作家の方が多い気がするので、珍しいパターンかも)。好きな作品も、昔はド定番の『人間失格』に心引かれていたが、最近はもっぱら短編しかも深刻さの少ないものを好むようになった(ずっと好きなのは「きりぎりす」でこれはシリアスといっていいだろうが、他は「女生徒」や「待つ」など。それゆえ、このへんがまとまっている角川文庫版『女生徒』はとてもありがたい)。私みたいな読者には、随所で笑えて楽しめる作品となっているはず。が、果たしてガチファンにとっては噴飯ものの冒瀆の書と映るのか、はたまた等身大の太宰に近い良質のパロディと捉えられるのか。興味本位で、すみません。
(松井ゆかり)