【今週はこれを読め! エンタメ編】家族それぞれの家の記憶〜青山七恵『私の家』

文=松井ゆかり

 「魔法の言葉」と聞いて、みなさんはどういうものを思いつかれるだろう? 「ありがとう」や「信じれば夢は叶う」といった万人の心に訴えるものを思い浮かべる方もいれば、スピッツの名曲「魔法のコトバ」を口ずさむ方もいるだろう。あるいは「やればできる」という「魔法の合いことば」を思い出す高校野球ファンもいるのでは(ヒント:「済美高校 校歌」で検索なさってみてください)。しかし、私が考える「魔法の言葉」は、「よそはよそ、うちはうち」である。このひと言で、いったいどれほどの子どもたちの訴えが却下されてきたことだろうか。

 物語は、庭で草むしりをしていた鏑木家の次女・梓が、母・祥子にせき立てられるように喪服を試着してみるところから始まる。祥子の母(=灯里と梓の祖母)である照の四十九日の法要に、これから家族で向かうためだ。駅で長女の灯里(結婚して家を出ている)を拾って父・滋彦が運転する車で菩提寺に向かう。寺の控え室にはすでに祥子の姉である純子伯母や、照の妹(=祥子や純子の叔母・灯里と梓の大叔母)の道世が到着していた。よくある法事の風景なのだが、しんみりしつつもそこはかとないユーモアが感じられて、青山七恵という作家の底力を改めて見せつけられる思いだ(青山さんには、比喩がナイスな作家というイメージがある。「その赤ん坊だってそのうち生意気な口をきくようになって、アフリカのヌーみたいに巨大化して」とか「大きな箱にすきまなくみっちりと詰まったサイコロをもう一つの箱に同じように目を揃えてすきまなく詰め替える、そしてまた別の箱に詰め替える、それを延々と繰り返すような、何かそういう、途方もない感じのする鍛え方」とか)。

 私がこの小説を読みながら強く抱いたのは、親近感めいた気持ちだった。なぜだ...と考えて、主人公たち鏑木家のメンバーやその親類たちの距離感が自分の実家のものと近いからだと気づく。灯里が梓に向かって「ここの家系って、そういうところ、ちょっと冷たいよね。なんていうか、クールな家系」と言うが、本人にもけっこうその傾向はみられる。すでに両親とも亡くなっているのだが私の実家もわりとそんな感じで、最近多くみられるという「友だち親子」や「共依存親子」といった感覚はピンとこない。さらに「うちと同じ!」と共感させられたのが、母親である祥子の教えは「生きることに関しての知恵だった」と灯里が思い返すくだりだった。例えば、「洗濯物を乾かすのは太陽ではなく風だということ」や「旅行に行くならかならず部屋を整理整頓して、ボロボロのパンツなんか穿いてかないこと」など。私自身が亡くなった母親から教えられたことで心に残っているのはさらにどうでもいいようなことだったのだけれども、最も繰り返し言われたのが「上下で違う柄の服を着ないこと」で、次が「ゴム入りのスカートやズボンを着ないこと」だ。いくら何でももっと大切なことも教えられた気はするのだが、ぱっと思いつくのは断トツでこのふたつなのである。それぞれの家庭にそれぞれのルールやしきたりが存在し、そこで育った子どもの心に刻まれていく。「よそはよそ、うちはうち」は、子どもの「あれ買って」や「子どもだけで遊びに行かせて」などの要求を封じ込めるためだけではなく、各家庭の独自性を表す指針としても存在しうるものなのだ。

 縁あって夫婦になったり、そのふたりの間に子どもが生まれたり、自分では子どもを持たなかった人でも親類同士の交流があったりと、ほとんどの人々は何らかの形で家族というものと無縁ではいられない。そして家というものは、それぞれの生活の礎ともいえる。多くの思い出は、自分が過ごした家と分かちがたく結びついているものだ。滋彦と祥子(と、恋人と別れて実家に戻った梓)が住む家、1階で商店を開いている道世の家、梓が「家のなかの家」と称した灯里が夫と娘・亜由と暮らすマンション...。私が住んできた家のいくつかはもはやこの世に存在しない。それでもその家に住んだ記憶は心の中に残り続ける。登場人物たちが「私の家」として思い浮かべる家はそれぞれに違っていた。現時点における自分にとっての「私の家」は夫や息子たちと住んでいるマンションだと思っているが、もしかしたらいまわの際に心に浮かぶのは、子ども時代を過ごした家や初めての子育てを経験した結婚して最初に住んだマンションだったりするのかもしれない。

 照の四十九日から始まった物語は、一周忌で幕を閉じる。大事故とか大事件といったものが起きたわけではないのだが、いや、いろいろあったといえよう。生きているといろいろありますね。

(松井ゆかり)

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