【今週はこれを読め! エンタメ編】明るく前向きな気持ちになれる連作短編集〜凪良ゆう『わたしの美しい庭』
文=松井ゆかり
現在最も書店員から熱く支持される作家のひとりである凪良ゆうの新作。...というのが誇張でもなんでもないことを、私は先日実感した。それは先週1月31日の夜、東京・渋谷の大盛堂書店で行われたイベント「渋谷の書店員3人による2019年下半期文芸書ベスト3と、小説家・凪良ゆうさんについて語る。」でのこと。2時間ほどのイベントの後半部分を費やし、大盛堂書店店長をはじめとする渋谷にある書店3店の書店員+『流浪の月』『わたしの美しい庭』それぞれの出版社の編集・営業担当者が登壇され、凪良作品の魅力が余すところなく語られた。実はイベントの冒頭から客席の後方にひっそりと座っておられた凪良さんご本人が、最後の最後にサプライズゲストとして登場されるといううれしい趣向も。もし私が作家で、自分の作品に対して書店員や出版社社員のみなさんによる絶賛トーク(加えて参加者たちの熱心なレスポンス)を目の当たりにしたら、天にも昇る気持ちだろうなと思った。
『わたしの美しい庭』は、屋上に神社があるマンションに住む人々を描いた連作短編集。『屋上神社』『縁切りさん』などと呼ばれるその神社の宮司を務める統理は、フリーランスの実務翻訳家との兼業で、血のつながりのない小学生の百音を引き取って育てている。百音の母親は、統理の元妻。再婚して娘を産んだ彼女は、百音が5歳のときに夫とともに事故で亡くなった。統理の友人でゲイで屋台バーのマスターの路有も、同じマンションの住人。路有が毎朝仕事帰りに統理たちの部屋へ寄って3人分の食事を作り、みんなで食べるというのが彼らの日課だ。
とても幸せそうな彼らの関係性を、『変わってる』『なさぬ仲』といった言葉で表現する人もいる。確かに、いわゆる"一般的な常識"に当てはめて考えてみると、百音と統理の親子関係や路有のセクシュアリティは万人に受け入れられるものではないといえよう。凪良作品を読んで、自分がいかにさまざまな先入観に囚われているかに気づかされる読者は多いに違いない。私自身、先入観や差別意識とは無縁の人間でいたいと思ってはいる。しかし例えば、百音と統理のように血縁関係ではない親子が身近にいたとしたら、最初から何の偏見も抱かず近所づきあいができるだろうか? 路有のように自分の息子たちが「同性しか愛することができない」と告白したとしたら、まったく動揺せずにいられるだろうか?
もちろんほんとうにつらいのは、興味本位や憐れみの目で見られる百音たちである。彼らはとても聡明で公平でフラットな心を持っているが、だからといって傷つかずにすむわけではない。そんなときにどうすればいいのか? 「両手を広げた人の形をした白い紙」すなわち形代に自分が断ち切りたいものの名前を書き、神様に縁切りをしてもらうのだ。そう、生きづらいのはきっと、よけいな悩みや気兼ねやしがらみを切り捨てるのが難しい人たち。だけど自分が苦しすぎたら、周りにも優しくなれなくなるだろう。神様がすべての人々の願いを叶えてくれるものなのか私にはわからないが、自分を縛るものが何であるかを見極めてそれを遠ざけようとする心の動きを持てる者なら、きっと新たな一歩を踏み出せると思いたい。
大傑作『流浪の月』の次に続けて出版されるものとして下手な作品は出せないと思った、といった内容のお話を前述のイベントの場でされたのは、本書の担当者の方だった。もっと広く読者に届くように、攻めすぎない作品を書いてほしいと著者に要望を伝えたとも。確かに、かすかな希望を求め続けるひりひりするような読書体験だった『流浪の月』にくらべると、『わたしの美しい庭』の方がより明るく前向きな気持ちで読み進めることができた(どちらも素晴らしい作品であることに変わりはない)。きっと、世の中の人々が自分の理解の範囲外だと思っていた他者の存在を受容できるようになれば、少しずつでもみんなが生きやすくなるのではないだろうか。だからあなたも、そして私も、もっと自由になれ。
(松井ゆかり)