【今週はこれを読め! エンタメ編】リアルさに惹きつけられる絲山秋子『御社のチャラ男』
文=松井ゆかり
題名からして傑作の予感しかしない、と思った。「御社」と「チャラ男」のミスマッチ感は、作品自体の万華鏡めいたおかしみにも通じるものがある。
本書でいう「チャラ男」とは、ジョルジュ食品の三芳部長のことだ。語り手は短編ごとにくるくる替わり、それぞれが彼の人となりについて語っていく(ボリュームはそれぞれ。三芳部長メインの話もあれば、さらっと触れられる程度の話もある)。
三芳部長とはどんな人物なのか。本人が胸の内を語るパートもあるのだが、他人から見た姿の方が実像を表しているような気がしてくるのが興味深い。見た目やスタイル重視でさまざまなことを乗り切っていこうとする軽薄さ、妻のことを「大好きだ」と言いながら社内での不倫にいそしむ一途さと不実さのアンバランス、パワハラで部下を追い詰めてしまう居丈高なところ...と、率直に言ってこのような性質が混在する同僚が現実にいたら、あまり一緒には働きたくないと思う。本人の独白を読んでも、「いや、あんたの底の浅さが原因ちゃうん...」と懐疑的にならざるを得ない。
複数の人物の語りから事件の真相や個人の性格などを浮かび上がらせるやり方は、描写力に欠ける作家がうかつに手を出すと大惨事になりかねないものだが、さすが絲山秋子という作家の持つ説得力は違うと思わされた。何より素晴らしいのが、三芳部長について書かれている以外の部分もほんとうにおもしろいことと、各キャラのモノローグの書き分けの巧みさ。語り手たちそれぞれの人物の、共感できるところとそうでもないところの配分が絶妙である。100パーセントの同意を寄せられる他者というのはまずあり得ないし、一方で「こいつとはわかり合えない」と思う相手でもひとつくらいは共感できるポイントを挙げられるというような。完全なる肯定も完全否定もない、リアルさに惹きつけられる。
そう考えると、複数の角度から物事を見るって大事だなと思わされる。彼が相手によって態度を使い分けていることもあるだろうし、彼の言葉や行動に対して受け取る印象が各人でさまざまであることも要因かと思うが、ひとりの人間にはこれだけ多面的な要素が混在しているのだなと思い知らされた。周りが鬱陶しがるような三芳部長の行動にも、実は理由や根拠が(いちおう)あることが示されるのもフェアな感じ。だからといって読者の方でも、劇的に三芳部長に対しての評価が高まったり彼を見る目が変わったりするわけでもないあたりが、「チャラ男」と称される人間の限界なのかも(どの登場人物たちの目にも概ね「チャラ男」として映っているのは、いっそ潔くはある)。
などと油断してると、痛烈なしっぺ返しがあるかもしれない。我々だって、チャラ男を断罪できるほど立派な読者ばかりではないだろう。なんといっても「運命は必ずそのひとの弱点を暴きに来る」ものだそうだから。これ、過労によるうつと診断されて会社を休んでいる伊藤雪菜(29歳)が以前に三芳部長が口にしたのを覚えていて、出典を調べたが見つからなかったという名言だ。三芳部長のオリジナルなのか? だったらちょっと見直す。
(松井ゆかり)