【今週はこれを読め! エンタメ編】女子高生バンド3人組の20年後の物語〜角田光代『銀の夜』
文=松井ゆかり
本書における主要人物は3人の女性。彼女たちが出会ったのは、幼稚園から短大までの一貫教育の女子校。ちづるは小学校から、麻友美は中学校から入学し、伊都子は中2のときの転入組だった。中3で同じクラスになった3人は、アマチュアバンドコンテストに出場する。急ごしらえのバンドの実力は圧倒的に不足していたものの、丈を短くした制服のスカートで歌う最年少出場者として注目された。タレント事務所から声がかかり、彼女たちのバンド「ひなぎく」は「ディズィ」としてデビューすることに。
それから20年がたち、30代半ばになった彼女たちはこんな大人になった。
ちづるは、翻訳を手がける事務所で働く夫とふたり暮らし。ちづる自身は、夫の知り合いのつてで1年半ほどまえからイラストの仕事を始めた。収入は1か月の食費にもならない程度。自分では「気楽な主婦の趣味」と思いながらも、「他人にそう思われるのはなぜかいや」という複雑な心境である。そして、夫は浮気をしている。
麻友美は、大学時代に起業したイベント会社の他にコンピュータ関係の会社も立ち上げた夫との間に5歳の娘・ルナがいる。娘を「芸能人にしようと思って」スクールに通わせているが、ルナ本人はいまひとつ乗り気でない。そして、麻友美自身はママ友たちと折り合いがよくない。
伊都子は、有名な翻訳家である草部芙巳子のひとり娘。周囲に強い影響を及ぼし続ける芙巳子に対して昔は従順だったけれども、いまは母親の呪縛から逃れたいともがいている。過去には母親の秘書をしたり、友人の輸入雑貨の店を手伝ったり、ライターをしていたりしていたが、現在はカメラマンのような立場だ。そして、彼女が夢中になっているフリーの編集者は妻子持ちかもしれない。
ディズィは、彼女たちの高校卒業(校則が厳しかった一貫校を放校処分になり、3人とも転校したのだが)が近づくにつれて低下し、その後活動を休止した。麻友美の口癖は「私たちの人生のピークって、やっぱり十代の半ばだったのかしらね」で、写真集出版の目処が立ちそうな伊都子は「今度こそ自分で動き出せる気がする」と意気込み、ちづるは「何かを語るとき、麻友美も伊都子も必ず十代の特殊な過去に照準を合わせることに」苛立ちを覚えている。彼女たちの反応は三者三様だが、結局のところ全員がディズィ時代にとらわれていることに他ならないと思う。
同じ女子中高生、同じガールズバンドのメンバーとして過ごしていた3人は20年の時を経て、それぞれ異なる境遇に身を置くようになった。物語の終盤、そんな彼女たちが再び結束する事態が起こる。そのできごとは、思いがけず私を強く引きつけた。私だったら、まずは思いとどまるよう説得してしまいそうだし、そもそも自分からはこんなことを頼めないし、そんなことをしそうな友だちも思いつかない。
女ともだちは唯一元本割れしない財産だ、という趣旨の発言はジェーン・スーさんのエッセイで読んだと記憶している。読んだ当時もなるほどとは思ったが、本書を読んで心から納得した。彼女たちにとってディズィ時代が特別だったのはきっと、芸能人として過ごしたこと以上に、かけがえのない友を得たことによるのではないか。
『銀の夜』の舞台は、2004~2005年(雑誌連載は2005~2007年。出版が遅くなった事情は、著者によるあとがきに詳しい)。3人は現在50歳になっているらしい。15年以上たって、さらに違った場所にたどり着いていることだろう。一般論としては、若い頃に無限にあるようにみえた可能性は加齢とともに狭められていく。しかし、「私、もう興奮するようなことも、おもしろいようなことも、この先なんにもないと思ってたわ」「でも。違うかもしれないね。十代のころとは種類は違うけど、でもおもしろいことや興奮することはきっとこれからもあらわれてくるわね」という麻友美の言葉をいまは信じてみたい。いくつになっても、まだ見たことのない未来を手に入れられる。生きている限り、私たちがあきらめない限り。
(松井ゆかり)