【今週はこれを読め! エンタメ編】成長していく少年の物語〜トレント・ダルトン『少年は世界をのみこむ』

文=松井ゆかり

  • 少年は世界をのみこむ
  • 『少年は世界をのみこむ』
    トレント ダルトン,池田 真紀子
    ハーパーコリンズ・ジャパン
    2,860円(税込)
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 本書の帯には「2019年オーストラリアで一番売れた小説」とあるが、そこから考えられるのはオーストラリア国民は相当に骨のある人々だということだ。この作品が破格なのは、主人公たちが巻き込まれる苛烈な暴力の描写や薬物の密売に関するリアルな記述などによって早い段階で読者に伝わるに違いない。それでも、終盤に明らかになる驚愕の事実には改めて呆然とせざるを得なかった。繊細な読者にはかなり刺激が強いはず。私は夜中に読んでいたら目が冴えて眠れなくなった。

 だからといって読むなというつもりは毛頭ない。むしろぜひ読んでいただきたい。もしもセンセーショナルなだけの作品だったら、ここで取り上げたりはしない。最も注目すべきは、周囲の人々とのすれ違いや好ましくない環境をはねのけて成長していくある少年の姿であるから。

 主人公のイーライ・ベルは兄・オーガストと母・フランシス、そして母の恋人・ライルとともに暮らしている。舞台はブリスベン郊外で、1980年代という設定らしい(イーライが学校に持って行くバックパックに書いたいろいろなバンド名の中にINXSがあって、懐かしさに身悶えした)。母さんはやさしくてきれいな人だけど、薬物依存の傾向がある。ライルをほんとうの父親のように慕っているけど、彼は薬の売人だ。オーガストはイーライのいちばんの理解者だけど、実の父さんが起こした事故以来、声を出してしゃべることをやめてしまった。ベル兄弟のシッターをしているスリムをイーライは尊敬しているけど、彼は伝説の脱獄犯である。

 ...と、こうやって並べてみるだけでも、ひとりの人間の中にはさまざまな要素が共存していることがわかるだろう。例えばスリムのように、犯罪を犯しはしたものの心根は真っ当で周囲から慕われるという人物も少なくない。一方、往々にして悪い人間というものは、自分を善良だったり無害だったりというタイプに見せるのが得意だ。そのために、イーライは大きな危険にさらされることに。ある日、陰で密売組織を牛耳る地元の大物が突然彼らの前に現れ、イーライの家族をバラバラにした。子どもの手には余る状況に陥ったが、幸せな家庭を再び手に入れるために彼は自分の判断力や行動力によってひとつひとつ問題を乗り越えていく。

 興味深かったのは、オーガストというキャラクター。言葉を発しなくなってしまった彼は、時折空中に文字を綴るのである。ふだんは会話でのコミュニケーションに頼らなくとも、ちょっとした表情の変化などからイーライは兄の言いたいことを理解するけれど、空中の言葉は予言的だ。それらは、ミステリー小説でいうところの伏線になってもいる。書くことによって重要な情報を次々と伝えるオーガストは、ファンタジー小説的キャラのようにもみえる。イーライには言葉があるけれど欠けてしまったものがあることと、オーガストは口には出さないけれども人差し指で空中に言葉を書くこと。仲のよい兄弟は、そうやってお互いに補完し合っているともいえよう。

 イーライにはジャーナリストになりたいという夢がある。薬物にどっぷり関わっている保護者を持ちさまざまなトラブルに巻き込まれてきた十代の少年にとっては、かなり高いハードルといえると思うが、イーライは彼なりのアプローチで夢に近づいていく。イーライのやり方には無鉄砲すぎるところもあってハラハラさせられるのだけれど、自分の信じた道をひたすらに突き進むことを恐れない純粋さに胸を打たれる。自分よりも大きな力に立ち向かっていくには、もしかしたらこれが正攻法なのかもしれない。果たして、家族の絆は再生されるのか。一度は闇に葬られた事件の真相は明るみに出るのか。少年は夢を叶えることができるのか。500ページを大幅に超えるハードな物語を、どうか真っ向から受け止めていただければと願う。

 本書の題名や各章のタイトルは、すべて三語(日本語では三文節)で統一されている。『少年は世界をのみこむ』「少年、言葉を書く」「少年、虹を作る」といったように。それにならって、この文章を三文節で締めくくろうと思う。私は/この本を/すすめる。

(松井ゆかり)

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