円城塔『道化師の蝶』攻略ガイド

文=大森望

 第146回芥川賞をめでたく(当欄の予想を覆して)受賞した円城塔『道化師の蝶』が、同じ〈群像〉初出の中編「松ノ枝の記」を加えて単行本化。予定を1カ月近く早めて、1月26日に発売された。
 選考委員の黒井千次氏が「2回読んだが2回とも途中で寝た」と告白したり、ニコ生ブンガク解説委員のペリー荻野氏が「4回読もうとしたけど読めなかった」と述懐したり、なんだか難解で前衛的(!)でSFチック(!!)で筋がない小説だと思われている節があるんですが、全然そんなことはありません。
 しかし、睡眠薬としての効果はともかくとして、狐につままれたような気分を味わう読者がけっこういるのは事実らしい。そこで、どうしても多少の道案内がないと不安でしょうがないという読者のために、当欄で勝手にガイドする。ごくあたりまえのことしか言わないうえに、もしまちがってても責任はとりませんのでそのつもりで。

 さて「道化師の蝶」がどういう話かというと、まあ、だいたいのところ、「着想を捕まえる虫取り網で、お話の素を捕まえる話」です。着想は蝶の姿でひらひら飛んでいるので、それを捕虫網で捕まえようという、たいへんほほえましい設定。

 題名の"道化師の蝶"とは、作中に出てくる、「アルレキヌス・アルレキヌス」(arlequinus-arlequinus)という学名の架空の蝶のこと。学名なのでラテン語ですが、イタリア語だとアルレッキーノ、フランス語だとアルルカン、英語だとハーレクイン。つまり道化ですね。どういう姿の蝶なのかは、著者が去年の4月にブログ(tumbler)に貼り付けている画像のとおり。ええと、これ(http://enjoetoh.tumblr.com/post/5009093308/arlequinus-arlequinus)。
 これをクリックすると、ナボコフが描いた蝶の絵を特集した記事に飛びます。キャプションによると、この蝶のイラストは、ナボコフが最後の長編『道化師をごらん!』を出したとき、妻のヴェラ宛ての献辞のページに自分で描いたスケッチなんだそうて。
「道化師の蝶」のV章に登場するのがまさにその本。ということは、本を見せびらかす鱗翅目研究者の老人は、ウラジーミル・ナボコフその人でしょう(奥さんにプレゼントした本をどうして自分で持ってるのかはともかく)。
 ちなみにナボコフは蝶の研究家として論文も発表してたんだそうで、その一端は、京都大学大学院生命科学研究科分子代謝制御学分野の研究紹介ホームページで紹介されています(→「Vladimir Nabokov の蝶」http://www.lif.kyoto-u.ac.jp/labs/plantdevbio/memb_araki_lep_N1.html
 ナボコフといえば蝶、蝶を捕まえるには捕虫網、網といえば編み物、という具合に着想がつながって、「道化師の蝶」という小説が編み上げられていったわけです(たぶん)。
 ナボコフはロシア語と英語の両方で小説を書き、自分が英語で書いた小説をロシア語に翻訳したり(あるいはその逆)した人なので、そういう側面もこの小説に取り入れられています。
 また、ナボコフの代表作『ロリータ』の主人公はハンバート・ハンバートですが、「道化師の蝶」に友幸友幸(トモユキ・トモユキ)という奇妙な名前の作家が出てくるのは、それが元ネタじゃないか----というのはナボコフの翻訳者でもある沼野充義さんの説。もっとも、そもそも円城塔という名前自体、円城=塔だと考えると、おなじものの二重化なので、作者自身の投影とも言えるでしょう。

 ......と、前置きはこのぐらいにして、「読んだけどさっぱりわけがわからない」「この本を買ってからよく眠れるようになった」という人のために、小説のあらすじ(ちゃんとストーリーはありますよ)をまとめてみましょう。思いきりネタバレなので、未読の人はくれぐれも注意してください。

 さて「道化師の蝶」は、IからVまで、5つの章で構成されています。

 Iは、東京--シアトル間の飛行中に起きる出来事の話。語り手の"わたし"の隣席にすわった事業家のA・A・エイブラムス氏は、銀糸で編まれたミニチュアの捕虫網をポケットからとりだし、「わたしの仕事はこうして着想を捕まえることだ」と語りはじめる。
「旅の間は本を読めないものですしね」と相槌を打った"わたし"の頭に、エイブラムス氏はいきなりその網をかぶせ、「話をきかせてもらいましょうか」と要求する。
 エイブラムス氏が銀の網で捕まえたのは、「旅の間にしか読めない本があるとよい」という着想。その後、エイブラムス氏は、このアイデアをもとに、『飛行機の中で読むに限る』に始まる一連の『~で読むに限る』シリーズを出版し、大ヒットを飛ばす(もっとも、『飛行機の中で読むに限る』はじつは豪華客船の中で読むのに最適で、『バイクの上で読むに限る』ドイツ語版は、太平洋横断旅客機の上で読むのに適している----という具合に、シリーズ各タイトルの各国語版を読むのに最適な場所を探すゲームが大流行したのが成功の理由だったらしい)。
 Iの最後は、エイブラムス氏が1974年にスイスに向かう飛行機の中で架空の蝶を(砂糖水と帽子で)捕まえたときのエピソードで締めくくられる。氏は蝶をモントルー・パレス・ホテルに運び、居合わせた鱗翅目研究者(=ナボコフ)に披露して、「アルレキヌス・アルレキヌス」と学名を教えられる。

 ----というIの内容は、すべて、"希代の多言語作家・友幸友幸"が無活用ラテン語で書いた小説『猫の下で読むに限る』(のほぼ全訳)だったことがIIの冒頭で明らかになる。それを翻訳したのがIIの語り手である"わたし"。実際の(というか、この章で語られる)A・A・エイブラムスは、友幸友幸の追跡に情熱を燃やす女性実業家で、家賃未払いの部屋の中から『猫の下で読むに限る』の原稿を発見してからほどなく、飛行機の中でエコノミークラス症候群により死亡したという。

 "台所と辞書はどこか似ている"という一文で始まるIIIは、モロッコのフェズで現地のお婆さんからフェズ刺繍を習っている"わたし"が語り手。
 最後でやや唐突に、Iで語られた"シアトル--東京間の飛行の間の出来事"が(隣同士の席にすわった女性二人のおしゃべりをそばで聞いている第三者の"わたし"の視点から)語られる。
 そして"わたし"は、自分がいつかその小さな捕虫網を編み、それが過去の人物に拾われて骨董屋で売られ、機内の女性の片方(A・A・エイブラムス)がそれを買うことになると直感する。どうやら、この章の"わたし"こそ、問題の友幸友幸その人らしい。

 IVの語り手は、IIと同じ、『猫の下で読むに限る』の翻訳者である"わたし"。この章では、"わたし"がエージェントとしてA・A・エイブラムス私設記念館に採用され、友幸友幸に関する報告を定期的に提出して、それで生計を立てていることが明らかになる。サンフランシスコの記念館にやってきた"わたし"は、カウンターにいる年配の女性にレポートを提出したあと、胸ポケットから小さな網を取り出し、彼女の冗談(ミスター「友幸友幸」という呼びかけ)を気まぐれに捕まえる。

 そのレポートを受け取った記念館の係員がVの"わたし"。「手芸を読めます」といってA・A・エイブラムス私設記念館に採用された"わたし"は、IIIの語り手と同じ人物、すなわち友幸友幸のようだ。その"わたし"のもとに、大きな捕虫網を持った老人(たぶんナボコフ)が訪ねてきて、ある特殊な蝶を捕まえるための網を編んでほしいとリクエストする。「思いつきを捕まえる網を君が編み上げてしまったのがそもそもの発端(のようなもの)なんだから責任をとれ」というのが老人の言い分。
 "わたし"が編みはじめると、物語はIの最後、エイブラムス氏とナボコフとの対面シーンに戻り、ナボコフがエイブラムス氏に"着想を捕らえる網"を手渡す。解放された"わたし"(雌のアルレキヌス・アルレキヌス=道化師の蝶)は、ひらひらと宙を舞い、Iの冒頭の"わたし"の頭に卵を産みつけ、それが「旅の間にしか読めない本があるとよい」という着想になって孵り、小説はぐるっとひとまわりして最初に戻る。

 時間が円環構造をなして、どこが出発点なのかわからなくなるというのはタイムトラベルSFにはよくあるパターンですが、この小説の場合、円環は微妙にねじれていて、エイブラムスは男なのか女なのか、彼/彼女は着想を捕らえる網をどうやって手に入れたのかなど、章によって書いてあることが違う。ひとつの出来事が小説になったり翻訳されたりして変わってくるんだけど、どれが正しいのかはよくわからない。五つの章を重ね合わせて透かし見ると何か見えてくる----みたいなことを著者は言ってますね。

 この小説の所属ジャンルについていうと、小説がSFになるかどうかはたんに語彙の問題でしかないというのが著者の立場なので、科学の語彙のかわりに手芸の語彙を使った「道化師の蝶」は、すくなくとも狭義のジャンルSFではありません。しかし、人間だと思っていた登場人物が平気で蝶になったり、あっさり時間を遡ったりするので、幻想小説には分類できるでしょう。こういうタイプの作品を広義のSFに含める立場もあるので(たとえば、本編の先祖のひとつと言えなくもないボルヘス「円環の廃墟」は、ジュディス・メリル編のアンソロジー『年刊SF傑作選6』に収録されています)、「今回はSFが芥川賞をとったね」などと言う人がいたとしても、そんなに無茶ではありません。

 じゃあいったいこの小説のテーマはなんなのか。
 作家がしじゅう訊かれる質問に、「アイデアはどこから思いついたんですか?」というのがありますが、「道化師の蝶」は、"アイデアの起源"を真剣に考察した小説です。そう、アイデアは蝶が産みつける卵だったんですね。その蝶がどこからやってくるのかは、この小説をじっくり読めばわかる......かもしれません。
 結果的には、「寝るときにしか読めない本があるとよい」という着想から生まれた『寝床で読むに限る』小説として大成功を収めたようですが、副次的なテーマとして、小説の実用的な価値が考察されているので、新たに発見された"睡眠導入効果抜群"という効果は、本編のもうひとつの勲章になるかもしれません。これから読む人は、ぜひともいろんな場所で読んで、この小説がどんな環境に最適なのかを発見してください。

(大森望)

« 前の記事大森望TOPバックナンバー次の記事 »