【今週はこれを読め! ミステリー編】過酷な警察学校が舞台の『教場』
文=杉江松恋
高村薫が『マークスの山』で警察官同士の足の引っぱり合いを書き、横山秀夫が『陰の季節』で刑事畑以外の警察官を主役に登用し、今野敏は『隠蔽捜査』でそれまでは悪役的に描かれてきたキャリアの視点から警察組織を描いた。
優れた作家・作品によって新たな視点が加えられていく。日本の警察小説というジャンルは、そうした形で発展を遂げてきた。
長岡弘樹『教場』(小学館)は、ジャンルのさらなる可能性を開拓することになるだろう、意欲的な一作だ。長岡が舞台に選んだのは「警察学校」である。
ある登場人物は教官に言われ、警察学校という場を「篩(ふるい)」に喩える。振り落とされずに最後まで残るのは至難の技だからだ。
不覚にも知らなかったが、警察学校とはとてつもなく厳しい場所であるらしい。遅刻や服装の乱れが細かくチェックされるのは当然として、毎晩日記を書いて担任の教官に提出する義務がある、というのはどうだろうか。ただ書けばいいのではなく、誤字・脱字があれば一箇所につき腕立て二十回、事実誤認の記述があれば一晩中正座という罰が与えられるのだという(「第三話 蟻穴」)。いずれ調書を書くことになったとき、絶対に間違いを起こさせないためだろう。
さらに、免許証や携帯電話は教官によって回収される。平日の夜は外出禁止。持ち物には必ず名前を書くこと。三歩までは歩いてもいいが、四歩以上の移動となれば駆け足。なんだこれ、すごい。私には絶対無理だわ。無理だから今警察官になってないわけだが。
当然ながらバラバラと脱落者が出る。自主的な脱落だけではなく、教官から依願退職を迫られることもあるのだ。「第一話 職質」では入校五十日ですでに四人が姿を消し、次の五人目になるのではないか、と噂されている男が主役を務める。警察官としての正義云々の話はひとまず背景に退き、組織の中で生き残れるのかどうかが関心の中心を占める話題となるのである。こんなサバイバル警察小説は読んだことがない。
学生たちはそれぞれ思惑があって採用試験を受け、警察学校に入ってきた。この職業に理想と幻想を抱いていた者、警察官という立場を利用してやろうと思っていた者、他に行き場がなく最後の拠り所として選んだ者。彼らの前に立ちふさがるのが担任教官・風間公親だ。
キミチカという名前はキミジカにも近い。この白髪頭の教官が何を考えているのかを表情から読み取ることは難しく、学生たちは翻弄されていくのである。警察官という職業に憧れているようでは先が思いやられる、むしろ警察官に文句があるから警察官になった、という学生のほうが向いている----そんなことを風間はうそぶくのである。
鬼? いや、悪魔のようにさえ見える。小説を読んで最初に感じることはそれだ。若者たちが次々と悪魔のような教官に挫折させられていく物語。『車輪の下』か、これは。
だが、読み進めていくうちに印象は変わっていくはずだ。風間の考えが具体的に書かれることはないが、行動が雄弁に物語る。それを読み取る小説なのである。鬼は、悪魔は、何を考えているのか。悪意として見えたものが逆転し、無意味にと感じたことの意味が判明する瞬間が必ず到来する。
全六話のエピソードはそれぞれ、警察学校の学生たちが日常生活の中で体験した不可解な出来事を描くミステリーとして書かれている。そうした日常の謎の地平とは別に、風間公親という男が体現する、ある精神についての絵解きが全篇を通じて仕込まれているのだ。その二重構造が、読書によってのみ得られる愉しみを保証してくれる。
なんなら、厳しい職場を描いた「お仕事小説」としても読んでもいい。それでも同じことで、通読すれば一つの職業についての広い見通しが得られることだろう。つまりどんな読み方でもできる。ゆえに広い層の読者にお薦めしたい。これは傑作である。
(杉江松恋)