【今週はこれを読め! ミステリー編】『ザ・ドロップ』に犯罪小説の真髄を見た!
文=杉江松恋
これぞ犯罪小説、という長篇を読んでしまった。
デニス・ルヘイン『ザ・ドロップ』(ハヤカワ・ミステリ)である。優れた犯罪小説に必要な三つのものをこの作品はすべて備えている。すなわち、数ページ先に起きる出来事も予想できないような展開の意外さ、登場人物一人ひとりの顔がくっきりと浮かび上がるようなキャラクター造形の確かさ、そして、一枚の紙幣と引き換えに人命が失われるような酷薄さだ。だが、この三つの要素がどう組み合わせられているかをここで説明することは避けておく。それこそが小説の要になっているからだ。冒頭の数章に目を通した後で、読者は「ああ、きっとこれはそういう小説なのだろう」と考えるはずだ。しかし、その予想は間違いなく裏切られる。唸りを上げて飛んでくる鉛の弾が、そして作家の素晴らしい空想力が、小さくまとまった読者の予断を破壊するのである。犯罪小説の真髄をこの作品に見た思いがする。
簡単にあらすじを紹介しておこう。これはクリスマスの2日後に始まる物語である。
ボブ・サギノウスキは〈カズン・マーヴの店〉でもう20年近く働いているバーテンダーだ。ちょうど10年前、その店では不思議な出来事が起きた。リッチー・ウィーランという若者が大麻だか鎮静剤だかを買いに行くと言って店を出たまま、それきり二度と姿を見せなかったのだ。おそらくはもう地上にはいないであろうウィーランを悼む客たちを送り出した後、帰宅途中でボブは子犬を拾った。飼い主に撲られたのだろう、頭に傷を負い、ゴミ容器の中に遺棄された子犬を。そのボブに、喉元に赤黒い傷痕の走る女性、ナディア・ダンという女性が話しかけてきた。戸惑いつつもボブは、ナディアに言われるままに犬を引き取ることを約束させられていた。
子犬を拾ったとき、ボブは紛れもなく幸福を感じていた。人生で初めて「うるさい映画館のうしろの席で自分の人生の映画を見ているのではなく、その映画のなかでしっかり役を演じている気がした」というほどの生の実感を覚えていたのである。
しかし翌日〈カズン・マーヴの店〉に出勤したボブを不測の事態が待ち受けていた。二人組の強盗が店に押し入り、金を奪って逃げて行ったのだ。カズン・マーヴは確かにボブの雇い主だが、数年前から店は彼のものではない。チェチェン・マフィアの手に渡り、汚い金の受け渡しに使われるようになっていた。強盗たちが奪ったのは、その金だったのである。警察の取調べの後で姿を表したチェチェン人のチョフカは、ボブとマーヴに盗まれた金を取り戻すように命じる。それができなければ2人は、強盗の片棒を担いだと見なされて殺されるのだ。
穏やかな冒頭からは信じられないほどに目まぐるしく物語は転がり続ける。作者の筆致は抑制が効いており、内燃機関のシリンダーにガスが溜まっていくように物語の圧は高まり続ける。それがどのように爆発するのか、という関心によって読者はページをめくらされてしまうのである。
ボブをはじめ、忘れがたい印象を残す登場人物たちも見事だ。まずなんといってもボブの前に現れ、子犬の元の飼い主だと主張し始める前科者のエリック・ディーズ。彼のために丸々割かれた第8章「ルールと行動」はチェンジ・オブ・ペースの絶妙な効果を上げており、この章以降一層の加速をつけて物語は疾走し出す。それ以外の脇役では、子供のころに一人で百メートル近い高さの観覧車に乗せられ、どんな人生にも終わりが来てしまうのだと悟ったというエバンドロ・トーレス刑事がいい。
実は本書には原型があり、ルヘインは最初に「ゴミ容器から子犬を救った男」の短編「アニマル・レスキュー」(「ミステリマガジン」2012年1月号所載)を書いた。それがミヒャエル・R・ロスカム監督、トム・ハーディ主演で映画化され、ルヘイン自身が脚本を手がけることになった。2014年に本国で公開されたThe Dropがその映画だ。つまり本書は作者自身によるノヴェライゼーションなのである。トーレス刑事は短編には登場せず、映画化・長篇化にあたって付け加えられたキャラクターだ。こうしたいくつかの要素が足されることにより、短篇「アニマル・レスキュー」とは一味違った犯罪小説に本書は仕上がった。関心がある方はぜひ併読の程を。映画がいつ日本で公開されるのかは定かではないが、もし上映されるのであれば足を運んで脚本家ルヘインの腕前も拝ませてもらいたいものである。ボブ・サギノウスキの孤独な魂がどのようにスクリーンに再現されるのか、非常に興味がある。
(杉江松恋)