【今週はこれを読め! ミステリー編】扉の向こうの恐怖を描くJP・ディレイニー『冷たい家』
文=杉江松恋
扉の向こうには何があるかわからない。
街で見かける、何の変哲もない家にも、心を凍らせるような悲劇が隠されているかもしれないのだ。惨たらしい殺人事件の報道を見るたびに、そんなことを思う。
『冷たい家』は、そうした家の閉鎖性、扉の向こうの恐怖について書かれた作品である。作者のJP・ディレイニーは『美しき囮』(角川文庫)の邦訳があるイギリスの作家トニー・ストロングの別名だ。広告業界のCMディレクターとしての顔もあり、その方面でも成功を収めている。本書はロン・ハワード監督による映画化も決まっているという。
ページを開くと、まず巻頭を飾る四つのエピグラフが目に入る。すべて「反復」に関するものだ。そのうちの一つはテッド・バンディの事件を担当した捜査官ロバート・D・ケッペルとウィリアム・J・バーンズが著わした『殺人衝動』(徳間書店刊の訳書ではケッペルの単著扱いだが、共著である)から取られている。
──中毒者とはそういうものだが、一定のパターンを持つ殺人者は台本に沿って物事に取り組み、異常なほど反復にこだわっている。
シリアルキラーについての言及と並ぶのは現代美術家アンディ・ウォーホルの言葉だ。
──ぼくはイメージの延々とした反復に──映画ではカメラの"長まわし"に──のめりこんでいるけれど、それは、みんなが人生の大半を観察せずにながめていると思うからだ。
この二つの「反復」の間に『冷たい家』という作品は存在するのである。
物語は過去と現在、二つの語りによって進められていく。過去の主人公はエマ・マシューズ、現在はジェーン・キャベンディッシュ。二人の女性は同じフォルゲート・ストリート一番地のデザイナーズハウスに住むのである。テクノ・ミニマリストと呼ばれることもある建築家エドワード・モンクフォードがその設計者で、彼は入居者に対して厳格な資格制限を行っていた。エマ/ジェーンは審査書類の膨大な質問項目に答え、最終段階としてエドワードその人との面談に臨む。
二つの語りが並行していくことからわかるとおり、エマは当該住宅の過去の住人、彼女が去った後に引っ越してきたのがジェーンなのである。エマがフォルゲート・ストリート一番地から去った理由は何か、ということが読者が抱く第一の疑問のはずだ。そして、まったく同じ過程を反復する二人の生活を横並びで叙述していく作者の狙いは何かということが次の疑問となるだろう。
同じ住居に住み、エドワードに課せられた厳格なルールを同じように守ってはいるが、二人の女性は違った問題を抱えている。エマは以前強盗に入られた外傷性ショックからまだ立ち直れていない。そのために恋人であるサイモンとの関係もややぎこちなくなっているのだ。ジェーンにもまた、出産に絡んだ悲しい記憶があった。それらの過去が中核の悲劇とどのような関係があるのかは、複線の物語が進行するにつれて明らかになっていく。さらに現代パートでは一つ、衝撃的な出来事が起きる。花を携えた男がフォルゲート・ストリート一番地を訪れ、ジェーンにこう告げるのである。
「あの男はまずはじめに彼女の心に毒を盛り、それから殺したんだ」
書いてかまわない情報はこれくらいだろう。あとは実際に小説を読んでもらいたい。中核にいるのは謎めいたエドワード・モンクフォードであり、彼を対象軸として過去=エマの物語と現在=ジェーンのそれとが綺麗な対称形を描いていくのが前半部、エロティックな展開などもあって惹きこまれ、登場人物以上にこの奇妙な家で何が起きているのかを読者は知りたくなるはずだ。
作者が巧いのは、この前半部で強いイメージを読者に刷り込んでしまう点だ。物語の類型、登場人物の造形、起きた悲劇の形など、過去に見聞からパターンを引き出してきた読者は、それぞれが一定の先入観を作ってしまうだろう。それを後半で覆していく。登場人物たちが意外な顔を見せ始め、わかりきった展開になるはずだった物語はどんどん壊れていく。そして、予想だにしなかった結末へと読者を導くのである。手品の種をあらかじめ見せるかのようなミスリードの仕方が大胆極まりない。
フォルゲート・ストリート一番地の入居希望者は天才建築家エドワードの定めたルール通りに生活することを強いられた。同じようにJP・ディレイニーのデザインした世界に足を踏み入れた者は作者の意のままに操られるのである。エピローグを読み、自分もまた冷たい家の住人となったかのように感じた。
(杉江松恋)