【今週はこれを読め! ミステリー編】幻想作家ブッツァーティの短篇集『魔法にかかった男』
文=杉江松恋
何年前の「このミステリーがすごい!」だったか、これまで邦訳されたミステリー短篇のベスト5を挙げよ、というアンケートをもらった。その手のアンケートではいつも、物故者を外して現役の作家のものばかりを答えるようにしている。その縛りが無ければ絶対に入れていたのがディーノ・ブッツァーティ「なにかが起こった」だ。今まで読んだ中で、いちばん怖く、そして印象に残った短篇である。話の構造は単純だ。視点は特急列車の中に置かれている。車窓から見ると、列車の進行の向きとは反対の方へ誰もが逃げ出しているのである。明らかに危機が迫っている。乗客たちは不安に苛まれるが、降りることはできない。終着駅まで停まらない便だからだ。やがてその駅のホームに列車は入っていき、というお話。
書きながらまたぞくぞくとしてしまった。最後の一行の衝撃を今でも覚えている。私がこの短篇を読んだのは、紀田順一郎編『謎の物語』(ちくまプリマ--新書)である。結末が明かされておらず、どうだったのかは読者の判断にゆだねられる物語形式をリドル・ストーリーというが、それだけを集めた楽しいアンソロジーだった。この本がちくま文庫に入った際、再編されて「なにかが起こった」は抜けてしまった。残念に思っていたのだが、岩波文庫『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』で現在は読むことができる。ミステリーやホラーのファンならば必読の名作である。
『魔法にかかった男』は、そのブッツァーティの作品が20も収められた短篇集だ。しかも19篇が本邦初紹介の作品である。版元の東宣出版は、嬉しいことにこの後も続けてブッツァーティの作品集を出してくれる予定であるという。現代イタリア文学を代表する幻想作家の世界に、ぜひ親しんでもらいたい。
収録作には、ヒュー・ウォルポール「銀の仮面」を思わせる「家の中の蛆虫」や、デイヴィッド・イーリイばりに読む人を不安にさせる「変わってしまった弟」など、情報の欠如によって読者の感情を制御するものが多く含まれている。それまでは覆い隠されていたパノラマ的な風景が結末で明かされることにより、読者の心に忘れがたい印象を残す。そうした効果を狙ったのが「新しい警察署長」などの諸作だろうか。また、小さなボタンの掛け違いが修復されずにだんだん膨らんでいき、主人公が破滅へと追いやられていく内容のものが多いのも特色の一つである。特に「騎士勲章受勲者インブリアーニ氏の犯罪」は、すべての猫虐待者に読むことを強制したい秀作である。猫を虐めると、こういうことになるんだぞ。
読んでいて、あ、これは「なにかが起こった」で味わったあれだ、と感じた作品がいくつかあった。たとえば独立記念日に行われた原子力兵器部隊を含む軍事パレードの顛末を綴った「リゴレット」、あるいは日常生活に侵入してきた巨大な機械との遭遇を描いた「機械」など。それらの短篇の結末では不可避の事態として巨大な恐怖が人々の上に降ってくる。「リゴレット」で原子力兵器というわかりやすい題材が扱われていることからも明白だが、自分たちのすぐそばに在るにもかかわらず、あえて目を逸らし続けている事物のメタファーなのである。そうしたものがある日突然制御しきれなくなり、日常が非日常へと変わる。ブッツァーティの短篇によって読者は、自らが立つ地盤の脆さを思い知らされることになるのだ。
収録作のうち最も長い「屋根裏部屋」は、一人の画家を主人公とする内容だ。ある日彼は、自宅の屋根裏部屋にリンゴが山と積まれているのを発見する。いかにも美味そうでみずみずしいリンゴは、奇妙なことにいつまでたってもしなびていく様子がないのだった。リンゴの魅力に憑りつかれた画家は、画布に向かうことも忘れてひたすら果実を齧り続ける。いわゆる「悪魔との契約」プロットを用いた作品だが、自身の中に存在する欲望と向き合う主人公、という題材だけで中篇の分量が書かれており、異様な迫力がある。本作を読むと、迫る来る危機から目を背けることや事実から目を背ける姿勢を描いた作品群も、実は「屋根裏部屋」と同じ、自身の無意識との対決が主題の一つになっているのだと感じられる。自分でも全体像をとらえることが難しい内的世界と、複雑であり非合理的である社会、外の世界とを重ね合わせて一つの対象として描く技巧が見事なイメージを読者の中に結ばせる。
表題作は、ずっと放棄してきた願望を充足させる機会を得た男が、真の自分と自身を合致させることに成功する話である。しかしそれは、慣れ親しんでいた日常の安全地帯を踏み越えることも意味していた。現実と幻想の間にある細い線をそうした形で作者は描いたのである。
(杉江松恋)