【今週はこれを読め! ミステリー編】痴話喧嘩から始まるどんでん返し『ブルックリンの少女』
文=杉江松恋
喧嘩して恋人に投げつけた言葉がひどい結果を産んでしまう。
そんなつもりじゃなかったのに、と言い訳をしても取り返しがつかない。
ギョーム・ミュッソが2016年に発表した『ブルックリンの少女』(集英社文庫)はそんな場面から始まる小説だ。ミュッソはフランス・アンティーブ出身で、発表する作品がすべてベストセラーになる人気作家である。初期はファンタジー色の強いものが主だったが、最近はポラール、つまり日本で言う広義のミステリーに当たる作品を書くようになっている。『ブルックリンの少女』も起伏に満ちた展開と結論を最後まで引っ張って読者に驚きを与えようとする企みに満ちたプロットが魅力的な一作だ。物語を構成するのはわずか三日間に起きた出来事についての記述で、一日経って章が切り替わるごとに話の見え方ががらりと変わるように設計されている。ネタばらしをせずにあらすじ紹介をすることが非常に難しいタイプの作品である。
冒頭に置かれているのは男女の痴話喧嘩の場面である。ポラール作家のラファエル・バルテルミは、研修医のアンナ・ベッケルと婚約中だ。よせばいいのにラファエルは、結婚を前に相手に隠し事をするのは止めよう、すべてを相手に打ち明けようと言い出す。秘密は誰でも持っている、それが自分を構成する一部でもあるのだから、とアンナは主張するのだが、ラファエルは聞く耳を持たない。何を隠しているのか、とどんどん激高していってしまうのだ。本当によせばいいのに。
余りにもわからず屋の婚約者に堪忍袋の緒が切れたか、アンナはタブレットを取り出し、「これがわたしのやったこと......」と一枚の写真を示す。それがあまりに予想外のものだったので、衝撃でラファエルは部屋を飛び出してしまう。しばらく経って戻ってみると、アンナの影はなかった。テーブルの上に棚が倒れてガラスが粉々に砕け、何事かがそこで起きたことを表していた。要らぬ一言が、パンドラの箱を開けてしまったのだ。我に返って自らの行いを後悔したラファエルは姿を消したアンナを探し始める。
アンナがタブレットに表示したのは、焼死体としか思えない死骸が三体、転がされている写真だった。明らかになんらかの犯罪が起きたことを意味している。それを「わたしがやった」とはどういうことなのか。序盤では、読者の関心はほぼそこに集中するはずである。ラファエルには退職した元刑事のマルク・カラデックという友人がいる。その助けを借りてなんとか過去に何が起きたかを突き止めるまでが第一日目の物語だ。しかしそれが判っても現代の事件との関連は浮かび上がってこない。遠い昔に起きたことはすでに終わってしまっているのであり、今さらなぜ生者に過去の呼び声がかかるのかは見えてこないのだ。そこでこの作品ならではの展開が始まる。ラファエルは作家として、小説を書くときの方法論を捜査に応用しようとするのだ。「その人物たちの過去を知り尽くすまでは、小説を書きはじめない」とする彼はいなくなった恋人の「ゴースト」を発見しようとする。
「ゴースト、つまり幽霊。戯曲論の教授たちが用いる言葉で、転換をもたらす出来事、登場人物に現在もとりついて離れない、過去に根ざした精神の動揺を指しているんだ」
「当人の弱点、アキレス腱というわけだな」
「ある意味でそうだ。登場人物の歴史におけるひとつの衝撃、抑圧、そのパーソナリティーの主要因となる秘密、精神状態、内面性、さらに多くの行動も含まれる」
そのゴーストを探すためのラファエルの行動が、『ブルックリンの少女』という小説の舞台を一気に広げることになる。さすがベストセラー作家たる所以であり、物語が一気に柄の大きなものになるのである。ラファエルの行動半径が一気に広がったこともあり、第一日目にも増して物語の先行きが見えなくなる。そして過去に起きた事件がラファエルたちが最初に探り当てたものだけではないことがわかったところで第二日目が終わる。そのころには、この話いったいどういう決着の仕方をするのだろう、と読者は気になって仕方なくなっているはずである。なるほどページ--ターナーとはこういう小説のことを言うのか。
次々に謎の答えが明かされるのに一向に事件の全容が見えてこないという意味で、作中にも言及されるとおりマトリョーシカのような構造を持った小説である。日本の読者からすればやや後出しジャンケン感のある謎解き(その手がかりはないのかよ、と私は思わずつぶやいた)も一部含まれているが、全体の図柄をぶち壊しにするようなおかしなピースは含まれていない。最後に完成した絵を見れば、なるほどそれはそこに嵌まるのか、と納得させられてしまうはずである。鮮やかな手つきに感心させられる、これぞ職人技というべき一篇である。
娯楽小説として完璧なこの作品で唯一気になるところがあるとすれば、主人公の性格だろうか。そもそも要らないことを言って婚約者を激怒させるような人物なので、面倒くさいところがあるのは最初から知って読んだのだが、ところどころにあれれ、と思うような言動がある。
婚約者の秘密を知っている年上の女性に、少し冷静になるように、とたしなめられれば、
----わたしは勝手なことを言わせるべきではないと思った。
と反撃に出る。ある事態が起きたのはひどい態度をとる男性がいたからだ、という意味のことをある女性が言うと、
「しかし、男が全員そうではないだろう」
と反射的に否定する。作者がうっかり書いているのか、わざとなのか、判断に迷うところである。そもそもあんたがそういう態度だから、婚約者を傷つけるような羽目になったんじゃないか、という読者のつっこみがラファエルに届きますように。
ネタばらしをしないように書くと、本作で描かれる事件は、他者に対する不寛容や、相手を平気で抑圧する行為によって引き起こされたものである。煎じ詰めていくとラファエルのこうした攻撃的な態度も、そうした元凶の一つであるように私には見えるのだ。男女の痴話喧嘩が、けっこう遠いところまで読者を連れていく小説なのである。
(杉江松恋)