【今週はこれを読め! ミステリー編】オーツ『ジャック・オブ・スペード』ではしごを外されよう!
文=杉江松恋
はしごを外されてみたい人にお薦め。
そんな素っ頓狂なコピーを思いついてしまった。『ジャック・オブ・スペード』を読んで、あなたもはしごを外されてみませんか。
作者のジョイス・キャロル・オーツはノーベル賞候補のリストが噂になるとき必ず名前を挙げられるうちの一人であり、アメリカにおいて一時代を築いた作家である。1938年生まれだから当年とって80歳のはずだが、老成という言葉がこれほど似合わない人はおらず、ジャンルを横断しながら精力的に作品を書き続けている。膨大な量の長短編の中にはミステリーに分類して差支えないものも多い(ロザリンド・スミスの筆名では、明らかなジャンル小説を書いている)。
『ジャック・オブ・スペード』は、そんなオーツが2015年に発表した、ミステリー・ファンならば読み逃すことはできない作品だ。巻頭にオットー・ペンズラーへの献辞が置かれており、明らかにミステリー・ファンへ目配せを送ってきている。ペンズラーは評論家であり編集者でありアンソロジストであり、最高のビッグ・ファンというべき人物である。そしてエピグラフとして始祖エドガー・アラン・ポー「天邪鬼」の一節が置かれている。
主人公アンドリュー・J・ラッシュは「少しだけ残酷なミステリー・サスペンス小説のベストセラー作家として」知られる人物だ。デビューから25年で累計数千万部を売り上げたというから、売れっ子と言っていいだろう。彼の作品では「卑猥な描写も、女性差別的なところもな」く、「どうしてもノワールにならざるを得ない場合を除き」「女性たちは丁寧に扱われ」「死ぬのはたいてい白人の成人男性だ」という。その作風からメディアがつけた称号が「紳士のためのスティーヴン・キング」。もっとも当のキングは、その話を聞いて「そもそも紳士のためのスティーヴン・キングなんて、なりたい奴はいるのかね」と一笑に付したという。
そのアンドリューが、とんだ揉め事に巻きこまれるのである。ある日彼は民事裁判の被告として訴えられる。原告はC・W・ヘイダーという人物だ。訴状によると、アンドリューは長年にわたってヘイダーの家に不法侵入し、その作品からアイデアを盗んで小説を書き続けているのだという。思わずヘイダーに電話をしてしまった作家は、相手が狂信者のような態度で彼を窃盗犯として決めつけていることを知って怒り、かつ動揺する。そして弁護士に禁じられたにも関わらず、傍聴人を装って裁判を覗きに行ってしまうのである。
ある日突然身に覚えのないことで告訴されるというのは、現代人にとっては最も見たくない悪夢の一つなのではないだろうか。しかも、そんなことあるわけがない、と否定しきれないところが怖い。読者は冤罪の恐怖と不安におののくアンドリューに、深く、深く同情することであろう。ここまでが三部構成の小説の、第一部の展開である。
しかし、読み進めるうちに雲行きはどんどん怪しくなっていく。オーツの住む世界では勧善懲悪の原理は読者が願うほどには単純ではなく、しばしば目を覆いたくなるような残酷な出来事が起きることもある。悪が惰眠を貪り、善意の人が理不尽な出来事の犠牲になるなどは日常茶飯事だ。だからちっとも油断できないのだが、不穏な気配は思いも寄らない方向から忍び寄ってくる。その一因は、アンドリューが見かけほどの好人物ではないのではないか、という疑念が読者の心に芽生えるためだ。
そもそも小説の初めから、アンドリューには二面性があることは明らかにされている。題名に使われているジャック・オブ・スペードというのは、アンドリューが作風の違うホラーを書くときに用いる別名義なのである。ジャック・オブ・スペードとしてのアンドリューは「紳士のための」が聞いてあきれるような鬼畜作家である。精緻なプロットなど必要ない。話の整合性やリアリティーなどはどうでもよく、ただただリビドーを発散させるように血の雨を降らし続ける作家なのである。だからアンドリューはもう一人の自分の存在を家族にも知られないよう、秘密を守り続けている。
作家小説の性格も持つ本書では「書くこと」についての言及がたびたび行われる。たとえば、こんな。
----我らがジャンルの制約をバカにする似非インテリの文学通気取りたち(私が愛してやまない娘のジュリアも含めて)は、自分で一度ミステリーを書いてみるがいい。成功したミステリーを書くのがいかに難しいか分かるはずだ。
でも、ミステリーファンのあなたは、このくだりを読んで快哉を叫ぶことができるだろうか。だってこれを言ったのは、一方でミステリーとしての結構なんて完全に無視し、衝動をそのまま文章にしているような書き手、ジャック・オブ・スペードでもあるからだ。そう思うと叩きかけた手も止まるというものだろう。アンドリューという人間をどこまで信用したものだろうか。そんな問いを読者に発させるのがおそらくオーツの目的なのである。どこにも確かな着地点が見つけられず、不安な気持ちにさせられる。その状態のままで、怒濤の展開となる第二部が始まるのだ。
読者が登りかけたはしごをはずされる小説は、ある作家にとってはとっても迷惑な小説でもある。その作家とは先ほども話題に出てきたスティーヴン・キングである。話が進んでいくと、悪夢のようなC・W・ヘイダーは、アンドリューだけではなくキングも同じような形で訴えていたことがわかる。いくら話の中とはいえ、盗作という不名誉な濡れ衣を着せられてキングは災難だと思うが、彼が食うとばっちりはこれだけではない。第二部に入ると、さらなる厄介ごとが彼の身には降りかかってくるのである。実在の作家になんちゅうことをするのか、と読んでいてびっくりしたが、オーツがキングを作中人物に選んだのには理由があるようで、そのことは訳者あとがきに説明してある。私たちのキングになんてことを、と憤慨したファンも、ひとまずご安心いただきたい。溜飲が下がるような一節も、ちゃんと用意してあるし。
話がずいぶんそれてしまった。読んでいると不安以外の感情は湧いてこないし、疑念のかたまりのようになって全ページをめくることになるし、つまりはサスペンスとして抜群に優れた小説である。それだけではなくて体制を鋭く皮肉ったくだりもあり、ところどころで胸を撃ち抜かれた。とにかく、生きていて良かった、という気分にはまったくさせてくれないのでご安心いただきたい。雨雲のような黒いもので心を染め上げられた貴重な読書体験であった。実に楽しかった。
(杉江松恋)