【今週はこれを読め! ミステリー編】十代の頃の気持ちがよみがえる『誰かが嘘をついている』
文=杉江松恋
十代の生きづらさ、息苦しさについての小説だ。
カレン・M・マクマナス『誰かが嘘をついている』(創元推理文庫)である。
二〇一七年に発表されたマクマナスのデビュー作である本書は、本国で大反響を呼び、〈ニューヨーク・タイムス〉ヤングアダルト・ベストセラー・リストに六十週間連続で入っているという。構成は単純だが、複雑な表情を持った登場人物たちには親近感と憧れの気持ちを共に催させるような造形で、物語のあちこちに強い印象を残す場面があった。漫画で言えば、いつまでも記憶に残る一コマがあるようなもの。プロットにゆるみがなく、読者を最後まで惹きつけておく磁力があるのは当然として、第一の魅力はキャラクターにある。本作を読むとき、誰もが自分が十代だったときの記憶を思い返さずにはいられなくなるのではないだろうか。生きづらく、息苦しかったころを。
ミステリーとしては、クローズド・サークルものの亜種ということができる。ある日、学内の評価や性格がばらばらの五人が、放課後の理科教室に集められる。教室への持ち込みを禁じられている携帯電話が鞄に入っていたことを咎められ、反省文を五百語で書くように命じられたのだ。その、見張りについた教師と五人の生徒しかいない空間で事件が起きる。シンクから水を汲んで飲んだ男子生徒が倒れたのだ。彼はピーナッツ・アレルギーの持ち主だった。携帯しているはずの注射薬(エピペン)は見当たらず、なぜか保健室にも見当たらない。到着した救急車で運ばれていった生徒は、あえなく落命してしまう。
事故ではなく、故意の殺人と見なして警察捜査が始まる。犠牲者が飲んだカップに何かを投じることができたのは、そのとき教室にいた者だけだ。こうして四人の生徒にとっては針のむしろに座らされたも同然の日々が始まる。
クローズド・サークルものの亜種と書いたのは、事件が起きたのは閉鎖空間だが、それ以降は違うためだ。犠牲者のカップに何かを入れることができたのは理科室にいた人間だけ、という条件が絶対であるため、容疑者は完全に限定される。それを遠巻きに眺める人々の視線が本作の重要な舞台装置である。冷たい視線、心ない噂、無責任な囁き。そうしたものがコロスの歌声のように絶えず響き、中心にいる四人を浮かび上がらせる。容疑をかけられることで特別な存在になるわけで、負のヒロイズムというべき陶酔がこの人間関係にはある。青春小説としての巧い仕掛けだ。
作者がその舞台に立たせたのは、いずれも個性の際立ったキャラクターである。そこが本作の成功要因で、注目を浴びる役者が大根だったり、特徴のない人間だったりしては話が成立しない。事件に巻き込まれることで各人が自己の内奥を見つめ直し、それぞれに変貌を遂げていくという教養小説の要素があるからだ。
アレルギーのために死んでしまったサイモン・ケラハーという生徒は、学内の秘密を暴き立てるゴシップアプリ〈アバウト・ザット〉を運営していた。イニシャルで記されてはいるが誰かを特定することは容易な内容であり、記事が間違いだったことはほぼ無かった。個人情報を晒されて自殺未遂を引き起こした者も出たほどで、〈アバウト・ザット〉の運営者を殺したいほど憎んでいる人間は多いはずだった。理科室に集められた生徒たちにもサイモンの調査は及んでいた。事件が起きた後、四人についての未公開記事がサーバー上で発見されたのだ。当然だがそれは、殺人の強い動機と見なされる。
四人の生徒たちが代わる代わる語り手を務める一人称で物語は進められる。その叙述形式で各人が自分の抱える秘密を隠そうとする様子が描かれていくので、暴露の瞬間がいつ訪れるかという興味が物語の前半を牽引することになる。十代の自分を振り返れば、いつも体面を守ることに精一杯で、どんな仮面をかぶれば傷つかないでいられるのかということで頭はいっぱいだった。それを思うと、彼らの苦悩はとても他人事とは思えない。
その秘密が次々に暴かれていき、物語の様相は変化する。最も隠しておきたかったことが白日の下に晒されて各人が傷つき、自分を喪う。いわばゼロになったところから立ち直って心を取り戻していく過程が後半では描かれるのである。素晴らしいと思うのは、そうした自己回復が、完全に突き放された孤独なものとしては描かれていないことだ。傷ついた者の隣には誰かが寄り添う。それまでは関係なかった者が、頼もしい味方になってくれる。どんなに辛くても、きっと手を差し伸べてくれる人がいるから、と作者は語りかけてくるのである。手をつなぐこととハグがとても心地よく書かれた小説だ。
事件に巻き込まれた四人の名前を書いておこう。学内きっての秀才で、イエール大学合格はまず間違いなし、と見なされているブロンウィン・ロハス。彼女の幼なじみだが、家族が離散したために真っ当な道を踏み外し、今は保護観察中の身であるネイト・マコーリー。野球部のエースとして、将来を嘱望されているクーパー・クレイ。他の三人にあるような目立った特徴がなく、恋人に愛されているという事実にしがみついているアディ・プレンティス。見事にばらばらの四人だ。事件前はまったく交流がなかった彼らだったが、漂流するいかだに乗っているような状況では、互いに向き合わざるをえなくなる。新しい結びつきが一つひとつ作られ、強固なものになっていくのが、読んでいて実に清々しく感じられる。
原題のOne of Us Is Lying、邦題の『誰かが嘘をついている』が本当の意味で重く感じられるようになるのは、こうした新しい人間関係が作られていく後半だ。容疑者となった四人は、誰もが嘘をついていた。サイモンによって暴かれたことによって深く傷ついたのだが、それは逆に救済の機会にもなった。自分を縛っていた嘘から解き放たれることになったからだ。しかし、サイモンの死は否定できない事実としてそこにある。誰かが嘘をついていると考えない限り、真相に至ることはできないのである。この中の誰も嘘をついているはずがない、嘘をついてないと信じたい、しかし、という葛藤に四人は陥る。それは一人称の形で彼らの内面を見せられている読者も同様だ。四人を信じ、応援したいという気持ちが高まりきったところで謎解きは行われる。こんなに真相を知るのが辛く、しかし待ち遠しい作品も珍しく、読みながら何度も本の残りページを確認した。本当に結末がきてしまうのか、信じられない気持ちになったからだ。
書きたいことはまだたくさんあるのだが、このへんで。最初に書いたように、名場面ばかりの小説である。覚えておきたい台詞、一文が多くて何枚も付箋を貼った。気持ちが疲れたときは、そこだけ読み返してもいい。「ほれ、バナナ食え」とか。未読の人にはなんのことかわからないと思うけど、本当に何度読んでもおかしくて、じんわり涙がにじんでくるいい台詞なのである。「うちの姉は色仕掛けの女スパイじゃありませんから!」というのもあった。いいなあ、この作者。大好き。
(杉江松恋)