【今週はこれを読め! ミステリー編】北欧ミステリーの大物ホーカン・ネッセル登場!

文=杉江松恋

 北欧ミステリー最後の大物、参上。

 ホーカン・ネッセル『悪意』はスウェーデン推理作家アカデミーの最優秀賞を三度獲得したほか、北欧圏で最高の権威とされる「ガラスの鍵」賞を受賞したこともある作家の、二冊目になる邦訳作品だ。前回の翻訳は2003年で、看板作品の一つであるファン・フェーテレン部長刑事シリーズの長篇『終止符』(講談社文庫)だった。フェーテレンものはもう一作、スウェーデン作家アンソロジー『呼び出された男』にも短篇が収録されている。こちらは故ヘニング・マンケルとの合作で、クルト・ヴァランダーとフェーテレンが邂逅を果たすという内容の、企画ありきの内容である。

 今回の『悪意』はノンシリーズの作品で、五作を収録した短篇集だ。収録作のうち、「レイン」「サマリアのタンポポ」「親愛なるアグネスへ」「その件についてのすべての情報」の四つが、ハリウッドで映画化されるという。訳者あとがきに情報が掲載されているので、以下それも交えながら内容をご紹介したい。

 元版の題名はIntrigoという。フェーテレンものの舞台でもある架空の都市マールダムの中心部にあるという設定のカフェの名前だ。本書のために書き下ろされた「トム」では、このイントリゴが重要な舞台の一つになる。「トム」というのは、語り手である作家ユーディット・ペンドラーにとっては義理の息子にあたる人物の名前だ。彼女の夫である映画プロデューサーのロベルトは、死別した最初の妻との間に息子を設けていた。それがトムである。午前三時半を数分過ぎたとき、自宅の電話が鳴った。その相手はトムだと名乗り、ひさしぶりに会えないか、と言ってくる。ひさしぶり。ユーディットが最後にトムの顔を見てから、正確に言えば二十二年と二ヶ月が経っていた。

 その相手がトムのはずがないと考えるユーディットはカウンセラーに相談する。ロベルトはあいにく、仕事のため海外に出ていて不在なのだ。顔の見えない相手が自分に近づいてきているという事実が彼女の心を揺さぶり続ける。なぜユーディットがトムのはずがないと考えるのかという理由が本篇の要になっていて、ロベルトと彼女だけが共有する情報が明かされるあたりから物語はさらにきな臭い展開になっていく。中断された過去が悪夢のように蘇ってきて現在の暮らしを揺さぶるというのが、本書収録作に共通したパターンだ。

 二作目の「レイン ある作家の死」は、翻訳者を語り手に据えた珍しい一篇だ。〈わたし〉ことダーヴィッド・ムールクは、作家のゲルムンド・レインが死亡したという報せを聞いて驚く。レインの遺作は「いかなる条件においても、わたしの母国語で世に出てはならない」という手紙を添えて出版社に送られてきていた。これまでも彼の作品を手掛けていたムールクが編集者から連絡を受け、翻訳を開始する。Aという都市に滞在し、レインの手稿と向き合おうとするのだ。編集者は知らないことだが、ムールクがAに行く動機はその自主カンヅメ以外にもう一つあった。現地で開催されたコンサートを、彼の下から出奔した妻のエヴァが聴きに来ていた形跡があったのである。

 翻訳と妻捜しを同時に行おうとするムールクの日々が綴られていく。彼がAで最初に泊まるのは〈トランスレーターズ・ハウス〉だ。特に注記はないが、国や公共団体が文化振興の目的で翻訳者に仕事の場所を格安で提供している施設だろう。一冊の翻訳に結構な日数をかけることができ、そのための助成金もどこからか貰えるなど、わが国とはちょっと様子の違いそうな出版事情が見えてくる。そういう関心で読んでもおもしろい一篇だ。翻訳書の発行部数も書いてあるのだが、思わず「印税はいくらの計算になるんでしょうか」と計算機を取り出しそうになった。

 レインの文章は「ストイックで、多少難解」という設定で、作中作として実際に遺稿も出てくる。そこに仕掛けがあって翻訳に取り組むうちにムールクは思わぬ事態に巻き込まれていくことになるのだ。ホーカン・ネッセルの文体には夜を思わせる沈鬱な雰囲気がある。本篇ではそれが功を奏していて、翻訳を進めるうちに作家の気難しそうな顔や、妻との別れに囚われているために心の一部が壊れてしまっている〈わたし〉の自暴自棄な様子などが書かれている事柄の向こうに透けて見えてくる。ネッセルは登場人物たちの心中や状況をくだくだしく説明しないので、却って興味が掻き立てられるのである。本篇の終わり方は衝撃的なものだが、この文体なかりせば同じような効果を上げることは難しかっただろう。

 三作目の「親愛なるアグネスへ」は、学生時代の親友同士が配偶者の葬式がきっかけで交際を復活させるという内容で、題名から想像される通り手紙のやり取りが中心になっている。最後まで読むと、書簡小説という形式はこんな風にも使えるのか、という発見のある一作だ。次の「サマリアのタンポポ」は、三十年前に起きたある事件を主人公と友人が調べ始めるという内容の話だ。輝くような美貌で校内の誰もが憧れていたヴェラ・カルが卒業式を目前としたある晩に突如失踪したのである。主人公が故郷の町に戻ると、そのヴェラ・カルを名乗る人物からメッセージが届く、という展開が巧い。これまた中断された過去の物語であり、全篇にどうしようもない喪失感が漂っている。初読時は見逃していたが、冒頭で主人公が四半世紀連れ添った妻から突如離婚を切り出される下りがあり、それが彼の孤独を際立てているのだ。筋立てがいいのはもちろんだが、こうした登場人物の造形に芸のある作家である。

 初めに書いた映画化はIntrigo三部作として撮影されるようで、「レイン ある作家の死」「親愛なるアグネス」がそれぞれIntrigo:Death of an Author、Intrigo:Dear Agnesの題名になる。出演は、前者が作家にベン・キングズレー、その妻にダニエラ・ラヴェンダー、ムールクはドイツ人俳優のベンノ・フユルマンで、エヴァはスウェーデン人のツヴァ・ノヴォトニーである。後者は二人の女性を中国系イギリス人のジェンマ・チャンとスイス人のカルラ・ユーリが演じる。「サマリアのタンポポ」は巻末に収録されたごく短い一篇の「その件についてのすべての情報」と併せて映画化されるらしく、Itrigo:Samariaの題名がつけられている。「その件についてのすべての情報」も学校を舞台にした話なのだが、どうやって「サマリアのタンポポ」と組み合わせるのかお手並み拝見といったところだ。こちらの出演は、主人公にイギリス人俳優のアンドリュー・バカン、失踪したヴェラ・カルに同じくミリー・ブレイディが充てられている。

 北欧ミステリーとハリウッドの組み合わせといえばすぐ思いつくのがスティーグ・ラーソンの〈ミレニアム〉三部作だが、果たしてその再来となるか。楽しみである。

(杉江松恋)

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