【今週はこれを読め! ミステリー編】スリル満点のリンカーン・ライムシリーズ最新作『カッティング・エッジ』
文=杉江松恋
スリラー。文字通りスリルを掻き立てることを目的にした娯楽作品だ。
日本ではかなり狭義の意味に使われることの多い用語だが、英米ではもっと広範囲の作品に当てはめられることが多い。サスペンス、という小説のジャンルはなくて、それに該当するのはスリラーである。冒険小説もスリラー。ぞくぞくするようなスリルがあるものはみんなそう。
最新刊『カッティング・エッジ』で14作目に達したジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライム&アメリア・サックス・シリーズも。
1997年発表の『ボーン・コレクター』(文春文庫。以下すべて同じ)が日本で刊行されたのは1999年だから、今年で邦訳満20周年ということになる。事故で負った怪我が元で全身がほぼ動かせなくなった天才科学捜査官のリンカーンと、彼の代わりに現場に出て目や手足の役目を務めるアメリアのコンビが活躍する連作は初期の段階から読者に支持され、翻訳ミステリーを代表する人気シリーズとして成長してきた。本書で14作目と書いたが、もちろん『カッティング・エッジ』から読み始めてかまわない。
このシリーズの魅力は、天才的な犯罪者と天才的な探偵の対決という図式にある。犯罪者の側が天才的たる所以は、外部の人間にはまったく意図が見えないように奇妙な犯行計画を組み上げ、しかも追っ手をかわすために偏執的な努力を重ねて自分の痕跡を事件現場から消していく点にある。時にはレッド・ヘリング、すなわち目眩しを残していくこともあり、それによって捜査陣は大きく惑わされる。リンカーンが追跡者として特別なのは、そうした手がかりを分別する能力に長けているからである。アメリアの力を借り、ばらまかれたごみの中から真実を指し示すものを見つけ出す。その闘いを描いた連作なのだ。証拠のミステリー、と呼んでもいいかもしれない。
『カッティング・エッジ』は、強盗と思われる人物によって3人の男女が殺害される場面から始まる。惨劇の舞台となったのはダイヤモンド店である。被害者のうち2人は、店に婚約指輪を買いにきた不幸なカップルだった。リンカーンたちは、犯人が現場にいた者を皆殺しにした理由は、目撃者の口を封じるためだったと考え、残されていた店主のメモからイニシャルがVLの人物が逃走中だと判断して彼を保護するために行動を起こす。
ディーヴァー作品では多視点描写が採用され、リンカーン&アメリア組とは別に複数人物による語りが進行していく。本書では逃走中のVLこと、ダイヤモンド加工職人のヴィマル・ラホーリと、ダイヤモンド鉱山で労働していた過去を持つ男、ウラジーミル・ロストフの視点が捜査陣とは別の語りの柱となるのである。強盗殺人犯を追う一方、リンカーンたちは奇妙な犯罪者にも翻弄されることになる。〈プロミサー〉と名乗るその男は、ダイヤモンドの嵌まった婚約指輪を目の仇にしているように見える。左手の薬指を切り落とそうとしたり、女性に強要して指輪を呑み込ませようとしたりするのである。このダイヤモンドへの執着は、果たして連続殺人とどのような関係があるのか。
何かに妄執を抱く連続殺人犯をリンカーンが追う物語は、第一作の『ボーン・コレクター』から繰り返されてきた。『ボーン・コレクター』ではそれが犠牲者の骨だったわけだが、本書ではダイヤモンドなのである。ディーヴァーの美点は、こうした異常行動をただの狂気としては扱わず、必ず合理的な説明をつけることだ。犯人が持つ特異点は、それ自体が手がかりなのである。作中に、捜査中の雑談として捜査協力者とリンカーンがクロスワード・パズルについて話すくだりがある。この箇所はディーヴァーが己れのミステリー創作姿勢を表明しているようにも見えて、なかなか興味深い。たとえばこんな台詞は、実に示唆的ではないか。
「さっきお話ししたように」アクロイドが言った。「暗号クロスワードでは、見たとおりのものが解である場合も少なくありません。挑戦者が見ていないだけで」
前述したように本書はスリラーなので、否応もなくスリルが掻き立てられる。閉所恐怖症気味のアメリアが命の危機に晒されたり、リンカーンが捜査の過程で過去にない窮地に陥ったり、といったはらはらする場面が要所要所に置かれていて、読者を退屈させないような工夫が施されているのだ。スリラーにもいろいろあるが、このシリーズは高速で移動しながら脱出経路を探していくような、シューティングゲームを想像していだたくとわかりやすいかもしれない。自機であるリンカーン&アメリアがどんどん危険な方へ追い込まれていくので、緊張が高まるというわけだ。シューティングゲームにおける起死回生のボム(爆弾)が、この連作の場合はリンカーンによる頭脳の閃きなのである。それによって、余人では思いつかないような抜け道が見つかる。謎解きのおもしろさが、脱出劇のスリルと重なる、というのが変わらぬ人気の秘密なのではないかと私は考える。
スリルといえば、本シリーズの中には、パニック小説として読めるものもいくつかある。たとえばインフラを狙ったテロ行為によってニューヨークの安寧が脅かされる『バーニング・ワイヤー』などがそうだ。本書にもそうした一面があり、規模の大きな災厄によって無辜の市民の生命が奪われるのである。帯に「シリーズ原点回帰の傑作」とあるがこれは誇張ではなく、『ボーン・コレクター』以来の犯人対探偵の図式を踏襲しつつ、作者が各作品のいいとこどりをしようとした形跡がある。パニック小説要素だけではなく、犯人の隠蔽の仕方は某作を、あるいは終盤におけるどんでん返しの趣向はあれを、というようにいろいろと思い浮かぶのだ。つまりシリーズ作品を既読の方にはさらに楽しみが増える趣向なのだが、これも前に書いたとおり未読でもまったく差し支えない。ここから手をつけてその後は第一作から読み始め、気に入ったらまた戻ってきて再読したらいいのである。
本書の隠れたモチーフは、パートナーの絆だろうと思う。「プロミサー」に狙われるのが婚約中のカップルである、という要素だけではなく、本書にはさまざまな夫婦や家族が登場する。そうした人々の平和が悪質な犯罪によって脅かされ、リンカーン&アメリアのコンビがそれを守ろうとするのである。作者は間違いなく意図的にこのモチーフを導入している。だってリンカーンとアメリアも、という打ち明け話は読んでのお楽しみにしておこう。
(杉江松恋)