【今週はこれを読め! ミステリー編】仕掛けに満ちたミステリー『闇という名の娘』

文=杉江松恋

  • 闇という名の娘: The HULDA TRILOGY #1:DIMMA (小学館文庫)
  • 『闇という名の娘: The HULDA TRILOGY #1:DIMMA (小学館文庫)』
    J´onasson,Ragnar,ヨナソン,ラグナル,薫, 吉田
    小学館
    880円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 ああ、こういうミステリーをしばらく読んでなかったな。

 最後の一行を読んだ瞬間にそう思った。これこれ、この感じ。こういうものはひさしぶりだ。

『闇という名の娘』はアイスランドの作家、ラグナル・ヨナソンが2015年に発表した警察小説である。すでに三作の邦訳が出ているが、僻村に勤務する警官アリ=ソウルを主人公にした既刊のシリーズには入らない作品だ。主人公は64歳の刑事、フルダ・ヘルマンスドッティルだ。本書で初めて知ったが、アイスランドの警察官は65歳が定年なので、彼女に残された時間はもうあまりない。家族がみんな死んでしまったため、天涯孤独の身の上である。フルダにとって刑事という仕事がすべてで、それを失うということは耐え難いことなのだ。しかも、年下の上司であるマグヌスは、新しくやってくる者に場所を明け渡すため、早めに職を辞してはどうかと迫ってくる。担当している案件からはすべて外された。せめてもの抵抗として、フルダは未解決事件の捜査をすることをマグヌスに認めさせる。

 アレクサンデルという同僚がいる。これが無能な男で、到底まともな調べ方をしたとは思えないのである。難民申請をしていたエレーナというロシア人女性が海に落ちて死んだ事件で、アレクサンデルは自殺という結論を出して早々と片付けてしまっていた。しかしフルダが少し聞きこみをすると、エレーナの申請は認められる寸前であったということがわかってくる。そんな女性が果たして自殺などするだろうか。また、エレーナが売春をさせられていた疑いも浮上してくる。背後に隠されたものがあると考えて、フルダは単身捜査を開始するのである。

 アリ=ソウル・シリーズでもそうだったのだが、ヨナソンは複数の視点を並行して進めていく叙述形式を得意としている。フルダの捜査と並行して、名前の出てこないシングルマザーの語りが進められていく。また、物語中盤からはもう一人の話者が出てきて、三つの語りが同時進行していく形になるのである。名前のわからないシングルマザーが何者かが判明するのがちょうど折り返し点のあたりであり、そこからは先行きがまったく見えない展開になっていく。ごく普通の警察小説だと思っていたものが、別の種類のミステリーである可能性が浮上してくるのだ。本作は〈ヒドゥン〉というシリーズ名が冠されている三部作の第一作にあたるらしいのだが、他の作品でも秘匿された真相が次第に明るみに出てくるという構成が小説の肝になっているのではないかと思われる。はっきりと書けないのがもどかしい。とにかくあれだ、冒頭を読んでこういう話かな、とした予想はだいたい外れるものと思っていただきたい。そういう話なのだ。

 報われない人生を送ってきたと感じている、孤独な人の物語でもある。その意味で翻訳がクリスマス直前に出たのは的確であった。街が賑わうこの時期にこそ、孤独を味気なく思う人の気持ちは強まるものだからだ。よるべなさを描いた小説として読んでいただいて、まったく問題ない作品である。

 フルダは、自分がガラスの天井に阻まれて昇進ができなかったと思っている。女性という性別ゆえに組織の中で差別を受けたということだ。彼女が上司のマグヌスに反発心を抱いているのは、彼がフルダの席を奪おうとしているからという理由だけではない。自分たちだけで閉じた世界を作り、女をそこから締め出そうとする男社会そのものの象徴だからである。組織の中で孤立している彼女の状況が、前半部で克明に描き出されていく。ロシアからやってきて売春を強制されていた可能性のある女性に肩入れすること、冒頭で描かれる、小児性愛者を轢き逃げした女性の容疑者に同情することなど、フルダの行動の背景には男性による女性からの収奪という事実が重ね合わされている。それらは現実を小説に写し取るために必要な描写であると同時に、ミステリーとしての仕掛けにもなっているのである。この仕掛けだ。ここもはっきり書けないのがもどかしい。言えないことがたくさんある小説なのである。

 冒頭で書いた「こういうミステリー」という感覚がどういうものかは、以上のようなちょっともどかしい書き方を読んで想像していただくしかない。そして実際に本を読んでもらいたい。私は犯人当ての趣向が優れている作品、犯人特定のための手がかりをさりげなく配置している作品に点が甘くなる傾向があるのだが、そうした面でも優れた長篇であると太鼓判を押しておきたい。さらに、さっきから言いたくて言えないでいる趣向が準備されているのである。そうなのだ、こういう感じなのだ。強いて似たものを挙げるとすれば、フランスの心理サスペンスを読んだときの感覚に近い。本を読み終わったあと、いつまでも作品世界から抜け出すことができなくて、しばらく呆然とするような。小説の虜囚になってしまったようなあの感覚に近い。ヨナソン、こういう作家になっていたのか。びっくりした。〈ヒドゥン〉シリーズの次が出たら絶対読む。読むしかないだろう。

(杉江松恋)

« 前の記事杉江松恋TOPバックナンバー次の記事 »