【今週はこれを読め! ミステリー編】『短編ミステリの二百年vol.2』で評論と短編を楽しむ!
文=杉江松恋
コロナ禍に遭われたみなさまにお見舞い申し上げます。また、緊急事態宣言発令で外出自粛を余儀なくされているみなさまにも。ざわざわとして心落ち着かない日々ですね。早く日常が取り戻せないものかと思います。
私も経験があるのだが、こういうときは読書でもして気を紛らわそう、と考えても本を手に取ること自体が難しいものだ。ニュースやら何やらで気になることはいろいろあるし、こんなことをしていてもいいものか、という思いもこみ上げてくる。気が付けば無為に時が過ぎていくだけ。
そんなときはいい短篇を読まれることをお薦めしたい。一つ読んで小腹が満たされたら、本をちょっと置いて家事なんかしたりして。アンソロジーもいろいろあるのだが、よかったらこの機会に小森収編『短編ミステリの二百年』を試されてはいかがだろうか。すでに創元推理文庫には江戸川乱歩編の『世界推理短編傑作集』全5巻が入っているが、これは先人の偉業に敬意を表しつつ、その21世紀版となることも目指して編まれているものだ。元になっているのは東京創元社のサイト「WEBミステリーズ!」に連載された小森の評論である。小説の技巧にミステリーが加わった19世紀後半ぐらいに起点を置き、そこからどのような変遷があり、現在のようなジャンルが形成されていったかの全貌を明らかにしようという意欲的なもので、その中に挙げられた作品から、さらに選りすぐった短篇を収録している。
第1巻についてはこの欄でも以前に取り上げた。同巻で小森は、『世界推理短編傑作集』(元の版では〈推理〉の二文字が無かった)の編纂意図に着目し、日本にこのジャンルを定着させた功労者である江戸川乱歩がミステリーというものをどう考えていたかを浮き彫りにしていったのである。
第2巻の本書に収録されているのは1920年代から50年代にかけて書かれた作品群だ。ただ年代で区切っただけではない。ミステリーというジャンルに何が含まれるか、読者の考えるミステリーとはどのような小説か、ということはずっと一定だったわけではなく、作者が媒体に求められるままに書いていく中で剪伐され、形が整えられてきた。第2巻では第二次世界大戦前のアメリカで力のあった媒体をいくつか紹介し、そこに掲載された短篇と現在のミステリーとの関係を明らかにしている。たとえばスリック・マガジンと呼ばれる高級雑誌である。バッド・シュールバーグ「挑戦」はそのうちの一つである「エスクァイア」に掲載された。
舞台となるのは日焼けした若者が似合う、あるビーチの街だ。商業絵画を生業にしている主人公は、そこで魅力的な娘・ジェリーと出会う。水上スキーで岸壁すれすれまで突進して避けるという自殺まがいの行為に挑んでいた彼女は、世に不可能事なしと言わんばかりの自信に満ち溢れていた。青白い肌の自分とはまったく違う世界に住む相手と思いつつも、主人公は彼女にたまらなく惹かれ、近づいていく。
この話にはある落ちがついており、それによってミステリーとして読むことも可能になっているのだが、話に整合性をつけて伏線を回収することが主眼ではなく、ジェリーというキャラクターを描くための小説になっている。そうしたミステリーの周縁に属する作品がなぜ収録されているのか、という疑問を抱いた方は、ぜひ小森の評論も読んでいただきたい。前巻で「解説がなぜこんなに長いのか」と不思議に思われた方もいるのではないかと思うが、本書において評論は付け足しではなく、主部なのである。
お薦めの味わい方としては、まず小説を一篇ずつ楽しみ、それから評論のうちその短篇について触れている箇所を拾い読みする。すべて短篇を読み終えたら、今度は評論を最初から最後まで通読する。こうすれば時間がないときでも楽しめるし、拾い読みした評論を二度目に一気通眼で眼を通すことで理解も深まるというものだ。
スリックマガジンの次に挙げられているのが、〈ブラックマスク〉などの通俗雑誌、つまりパルプマガジンだ。ここから多くの犯罪小説作家が輩出されたのはご存じのとおり。いわゆるハードボイルドの大家と呼ばれる作家のうち、ダシール・ハメット「クッフィニャル島の略奪」、レイモンド・チャンドラー「待っている」が収録されている。それぞれの作家の短篇における代表作というべきもので、「クッフィニャル島の略奪」は金持ちの別荘が並ぶリゾート島に強盗団が押し寄せ、それをコンティネンタル・オプが撃退するという話だ。活劇場面の多い犯罪小説ながら、謎解き小説といってもいいほどのしっかりした推理場面が楽しめるのが読みどころである。
チャンドラーの「待っている」は、創元推理文庫で稲葉明雄訳、ハヤカワ・ミステリ文庫で田口俊樹訳が読めるが、ぜひ本書の深町眞理子版もお試し願いたい。あ、言い忘れたが収録作は全部新訳である。なぜ読み比べをお薦めするかというと、これは小森の評論を読んでいただきたいのだが、翻訳によって味わいのまったく異なる作品だからだ。幾通りも楽しみ方があるという意味で、短篇小説のお手本だと思う。
その他の短篇では、レックス・スタウトのご機嫌なネロ・ウルフ&アーチー・グッドウィンもの「探偵が多すぎる」がお薦めだ。これはスタウトが創造したもう一人の探偵ドル・ボナーがウルフたちと共演する話なのである。お気に入りの英国作家ロイ・ヴィカーズ「二重像」もいい。これなどは日本の法月綸太郎あたりが書いていてもおかしくない、単純ながら洗練されたプロットを持つ短篇だ。
最後に宣伝を一つだけ。現在「ハヤカワ・ミステリマガジン」で、旧作を田口俊樹氏が新訳し直すという「おやじの新訳腕まくり」という連載があって私が毎回作品選択と解説を担当しているのだが、最新号にはホレス・マッコイ「グランドスタンド・コンプレックス」が採られている。本書の評論で小森氏が良作と紹介しているのを見て、ちょっと嬉しくなってしまった。そう、いい短篇なのだ。ぜひこちらもご一読を。
(杉江松恋)