【今週はこれを読め! ミステリー編】颯爽と八方破れな『弁護士ダニエル・ローリンズ』登場!
文=杉江松恋
人生に絶望するにはまだ早い、と教えてくれる小説である。
ヴィクター・メソス『弁護士ダニエル・ローリンズ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、本邦初紹介の作者による、軽快な法廷小説だ。メソスはアフガニスタンのカブール生まれ、ユタ大学法学部を出て検察官となり、その後刑事弁護士に転じた。作家としてのデビューは2011年、すでに50冊もの著作があるというが、これまで邦訳の機会がなかった。本書が訳されたのは2019年にアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長篇賞の最終候補作になったからだろう。惜しくも大ベテランのウォルター・モズリイ『流れは、いつか海へと』(ハヤカワ・ミステリ)に敗れたものの、この一作で大いに注目される作家となった。
通称ダニ、の刑事弁護士ダニエル・ローリンズが夜っぴいて飲んだあとのひどい二日酔いを抱えて裁判所に到着するところから話は始まる。判事ならずとも顏をしかめたくなるような状態だが、彼女の心境を考えると無理もない。元夫のステファンが、再婚を決めてしまったのだ。ロースクールに通っているころから知っているステファンにまだダニは未練たらたらで、彼の未来の妻になるペイトンが気に食わないったらありゃしない。上流階級の出身で、趣味は狩猟、動物の首を壁に飾っているような女性だからだ。しかしダニに不満を言う権利はない。離婚の原因は、彼女がステファンを裏切って他の男と浮気したからである。
大丈夫かこの主人公、と思っているうちに本題に入る。新しい依頼人はライリーとロバートのソーン夫妻だった。息子のセオドア(テディ)が麻薬密売の容疑で起訴されたのである。テディにそんなことができるわけはない、と夫妻は言う。なぜならば彼は、重度の知的障害だと診断されたことがあるからだ。夫妻は白人だが、子供のテディは黒人である。生後三ヶ月で夫妻はテディを養子に迎えたが、その後障害の事実が判明した。それから十七年間、息子として育ててきた。
起訴されたのは何かの間違いだろうと考えるダニは依頼を引き受ける。しかし不起訴処分を求めようとして手続きを始めた彼女は意外な事実を知らされた。テディはまだ十七歳なのに、事件は少年裁判所ではなく地方裁判所扱いになっている。担当判事のミア・ロスコームは少年犯罪を憎んでおり、厳罰主義で望む人物だ。検察側は敗訴覚悟でテディの事件を二審に上げ、重犯罪少年法の正当性に警鐘を鳴らす意図なのか。少年は生け贄にされたのだ。
ロスコームは予想以上の糞野郎で、ダニは苦戦を強いられる。テディに知的障害があることさえ無視し、責任能力がある者として法廷に引き出そうとするのだ。しかも検察側は裏から手を回し、証人たちの口を封じているらしい。次第に追い込まれていくダニをさらなる衝撃が見舞う。予想もしなかった裏切りに遭い、絶体絶命の窮地に追い込まれてしまうのだ。このままでは、テディは実刑判決を受けてしまう。子供同然の彼が刑務所で生き延びることは不可能だろう。
ダニが法廷で孤立無援になっていくさまが描かれる後半部にはたまらない重圧感があり、胃の弱い人は注意が必要である。法廷という場では正面突破だけが能ではなく、時には奇襲も必要であることを、海千山千の弁護士であるダニは熟知している。「混沌が支配する世界」では「無秩序がルールのようなもの」、「すべてをまともに受けとめていたら、身が持たない」。そう嘯いていたはずなのに、ただひたすらに良心だけを信じて行動しなければならない局面に彼女は立たされることになる。打ちのめされ、敗北を認めそうになるダニを、右腕として支える調査員のウィル・ディランはこう言って励ますのだ。
「きみは魂を失っていない、レディ。多くの人々が失っている魂を持ちつづけているんだ」
この世のすべてを支配しているつもりの強者・権力者たちは、自分たちの意思で法律は左右できるものだと考えている。法が自分たちの考えと合わないのであれば、変わるべきなのはどちらかは決まっていると。そうした邪まな人々は絵空事ではなく現実に存在する。そんな連中に挑戦状を叩きつけるのがダニという主人公なのだ。
「法に正しいも何もありません。すべての法が唯一の法なんです。あなたの気に入る法だけが正しいなんてことはありません」
颯爽とかっこいいが、一方でダニは、「こんな歳でこんな人生を歩んでいるはずじゃなかった」とぼやきまくる、人生の迷子でもある。酒に逃げてしまう弱い面もまた、この主人公の魅力だ。どうにもならなくなると八方破れの行動に出て、法廷侮辱罪をたびたび宣告される。そんな危なっかしいところが、いいのである。
テディを連れて入ったベーカリーで差別主義者の店長からひどい仕打ちを受けたダニは、たかだかとこう宣言する。
「そう。じゃ、いまからオーブンにおしっこする」
なんという大人気なさ。こんな弁護士がみんなの味方だ。いいぞ、いいぞ。
(杉江松恋)