【今週はこれを読め! ミステリー編】耐え難いほどの孤独と向き合う『娘を呑んだ道』

文=杉江松恋

  • 娘を呑んだ道 (小学館文庫)
  • 『娘を呑んだ道 (小学館文庫)』
    Jackson,Stina,ジャクソン,スティーナ,俊樹, 田口
    小学館
    1,100円(税込)
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 夜の底を行く。

 また解説を担当した本で恐縮なのだが、今回ご紹介するのは2019年度の「ガラスの鍵」賞に輝いたスティーナ・ジャクソン『娘を呑んだ道』(小学館文庫)だ。原題は「銀色の道」の意で、スウェーデンの国道95号線、通称シルヴァーロードと呼ばれる幹線道路を指している。その道を夜、一台の車が走っていく。他に動くもののない夜の道は、生命の気配がない深海のようでもある。暗闇を一条の光が切り裂いていく。

 ページをめくりながら誰もが、たまらなくさみしいと感じるだろうと思う。耐え難いほどに孤独だと。主人公であるレナート・グスタフソンの心象風景が読者の胸に滲みこんでくる。三年前のある早朝、彼はスクールバスの停留所に娘のリナを送り届けた。それから十五分後、バスがやってきたときにはリナはいなくなっていた。わずかの間に消えてしまったのだ。自らそこから立ち去ったのか。それとも誰かに連れ去られたのか。

 警察はレナートの証言を疑った。彼の妻、アネッテは夫が許せず、家を出た。しかし誰よりもレナートを許せなかったのは彼自身だった。空白の十五分間に何があったのだとしても、リナを一人にさえしなければそれは起きなかったからだ。警察が動きを止め、アネッテが運命を受け入れはじめても、レナートは娘を捜し続けた。シルヴァーロードを脇道の隅々まで。何度も何度も、廃屋や小さな物陰も見逃さず、リナの痕跡を求めてレナートは行く。



――シルヴァーロードは一帯に広がる細い血管、それに毛細血管と彼とをつなぐ大動脈のような道路だった。雑草のはびこった木材の切り出し道に、冬はスノーモービルでないと走れないような道、それにくたびれきったような道。それらが見捨てられた村や過疎化が進む集落とのあいだをくねくねと這っていた。川に湖、それに地上と地下の両方を流れるほんの小さなせせらぎ。じくじくとしたすり傷のように広がり、湯気を立てている沼地。さらに黒い独眼のような底なしの小湖。そんな一帯をやみくもに走りまわり、失踪人を捜すというのは一生かけても終わる仕事ではない。



 物語の舞台となっているのはスウェーデン北部(ノールランド)、作者の出身地でもあるヴェステルボッテン地方だ。自分にとっては未知の土地ではあるが、ジャクソンの描く風景がありありと浮かび上がってくる。すべてを見逃すまいとするレナートの視線に同化しながら読むからだろうか。彼の探索行に終わりはない。干し草の中に落ちた針を捜す、という言い回しがあるが、リナを求める旅はそれよりも遥かに困難だろう。レナートがしていることは、無限の虚空から何かを掴みだすに等しいからだ。彼が見ているのはシルヴァーロードやその周辺の森ではなく、空っぽになってしまった自分の心の中なのかもしれない。

 二部構成の物語であり、第一部では読者は、主として狂おしい彷徨を続けるレナートの後をついていくことになる。主として、と書いたのは視点人物がもう一人いるからで、南の町から母親に連れられてノールランドに初めてやってきた、メイヤ・ノルドランデルという少女が物語を立体的にする役割を担っている。

 メイヤの母親であるシリヤが、インターネットで知り合ったトルビョルンという男性と同棲すると言って彼女を未知の地方へと連れてきた。メイヤにとって、初対面の相手に体を与えて居場所を作ろうとする母親の行動は受け入れがたい不潔なものである。トルビョルンはメイヤに対して紳士的に振る舞うが、それでも母親とセックスでつながっている相手に彼女は心を許すことができない。森が広がる家の周囲の景色は、メイヤにとって入っていくことが躊躇われるほどによそよそしいものなのだ。見知らぬ場所に一人だけ連れてこられたような感覚を彼女は味わう。

 種類は違うが、孤独という点でレナートとメイヤには共通点がある。大切なものを奪われ、心の中から何もなくなってしまったレナートと、突如知らない場所に連れてこられたメイヤ。この二人が感じているであろう不安が形を結び終わったところで第一部は終わる。第二部から始まるのは、もう少し明るい未来へ向けての物語である。海に沈んだ人が底を蹴って再び浮かび上がるような。重い空気をまとった小説だが、ここから少しずつ息苦しさが晴れ始める。淀みが澄み、彼方に光が射すのが見え始める。明けない夜はないのだ。

 ミステリーとしての中核は、もちろん三年前の早朝に何が起きたか、ということにある。単純といえば単純な謎を、考古学者が埋蔵物を掘り出すような慎重さで作者は明らかにしていく。ゆっくりと輪郭が見え始め、ある時点から一気にそれが明確さを増していく。心を奪われる語り口というのはこういうもののことを言うのだろう。レナートとメイヤがどのような表情をしているかくっきりと見えたところで物語は終わる。

 登場人物の心の中に下りていく小説だ。前述のように本作は、北欧五ヶ国のミステリー文壇では最高の栄誉とされる「ガラスの鍵」賞を授与された。ミステリーとしての骨格が優れている点はもちろん、風景描写が主人公たちの心の中を映し出す、豊かな文章が評価されたのではないかと思う。ゆっくりと凍らせた水は曇りなく透きとおる。透徹した文体を通して、孤独という感情と向き合うことができる。そうした小説だ。

(杉江松恋)

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