その1「あの古典で読書に目覚める」 (1/6)
――幼い頃から歴史が好きだった、ということはありますか。
佐藤 : いえ。ほとんど本を読まない子供だったんです。人並みに絵本などは読んだと思うのですが、小学生時代は読書感想文などの宿題が出た時にやっと読むくらいで、年に1冊読むか読まないかくらいでした。
――他に夢中になることがあったとか。
佐藤 : ひたすら遊んでいました。山形の田舎で育ちましたので、野外で遊ぶのがもっぱらで。午前中にプールに行って、午後はサッカーをやって、夕方から花火に行って、次の朝ははやく起きてカブト虫を獲りに行く...。そんな生活を送っていました。
――むしろ大人に「本を読め」と言われる子供だったのですか。
佐藤 : いつも言われていましたね。その頃の友達に、今自分は作家だと言っても信じてもらえないんです(笑)。漫画は比較的読んでいたと思います。中学から高校にかけては『北斗の拳』とか『ドラゴンボール』などが全盛期で。友達それぞれジャンプ担当、サンデー担当、マガジン担当がいて、みんなで一冊ずつ買って順繰りまわして読んでいました。
――小説の面白さに気づいたのはいつ頃でしょう。
佐藤 : それは自覚的なものがあって。19か20歳の時です。山形市の大学に進学して、そこで大学生活を送ったんです。で、そんなに勉強したりはしない(笑)。人並みに遊んでいたんですけれど、山形市くらいの規模だと2年も経つと遊び尽くしてしまうというか。どこに行ってもつまらなくなってしまって、これは困った、どうしようと思って、たまたま本屋をのぞいて本を買ってみたんです。そうしたら、あれ、意外と面白いじゃないかということになり、そこから大学2年、3年、4年と乱読期。手当たり次第に読んでいました。
――本屋で最初にどの本を手にとったかで、その後の読書生活が決定づけられたともいえますよね。何という本だったのですか。
佐藤 : それが、誰に言っても信じてもらえないし、笑われてしまうんです。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』です。
――おお(笑)。はじめて手にとった本がゲーテ。
佐藤 : ウケ狙いとまではいかなくても、合コンに行った時の話のネタになればいいなという気持ちがありました。でも読み始めたら面白くて、その日のうちに読み終わったくらい。
――その時の面白い、という感覚は、どういう類のものだったのですか。
佐藤 : 当時の僕は、何をするにも軽薄な時代環境にいたと思うんです。まさにバブル真っ只中で、世の中も安易な風潮に行きかけていたと思う。その時にゲーテのような、古くさいものを読んでみると、小説の世界のほうが実はリアルではないかという感覚があったんです。自分だって本当はもっと悩んでいいんだよな、というような。これだけのことで本を1冊書けてしまうのかという驚きもありました。
――恋愛をはじめ、思春期のさまざまな悩みが書かれていて。
佐藤 : もしも現実なら、すぐに忘れて記憶に残らない出来事かもしれない。でもこれだけ濃密な空間が出来上がるんだということが驚きで。そこから手当たり次第に読んだのですが、学生なので前提としてお金がない。文庫ばかり読んでいました。そして文庫の中でも、今生きている作家よりも死んでしまった作家の本のほうが安いんです(笑)。ですからいわゆる古典というものを集中的に読んだかな。夏目漱石や森鴎外、海外なら19世紀のフランスのもの。デュマやユーゴー、バルザックなど、フランス文学の黄金時代の作品ですよね。今流行っているドストエフスキーやトルストイといったロシア文学も読みました。
――これは夢中になった、という作品は。
佐藤 : デュマの『三銃士』は一時期凝りました。ちょうど大学3年で卒論を書くための専門を決めなくてはいけなくて。僕は本を読まないわりには、学校の授業でも歴史には漠然とした興味があったので、歴史関係にいこうと思っていたんです。日本史は選抜試験があるかもしれないけれど西洋史は人気が低い、という噂があって、ならいけるかな、と選んだんです。
――そ、そ、そんな理由だったのですか!
佐藤 : 西洋史に進んだのとほぼ同時期に『三銃士』を読んでいたんです。自分が卒論でやろうとしていた分野と重なるところが面白くて。それで、フランス語の勉強も兼ねて、原書を取り寄せて自分で訳してみようと思ったんです。まあ訳本は出ていますから、分からなければそれを頼ればいいと思ったし。それで1冊訳した覚えがあります。
――19世紀半ばのフランス語って、やや言葉が古いのではないのですか。
佐藤 : 古いといえば古い。現代のようなフランス語ではないけれど、日本人の、文法から入るフランス語の感覚からすると、かえって読みやすかったんです。