作家の読書道 第95回:上橋菜穂子さん

大人から子供まで圧倒的な人気を誇る『獣の奏者』を完結させたばかりの上橋菜穂子さん。代表作に「守り人」シリーズや『獣の奏者』がある。ファンタジー作家というイメージがあるかもしれないが、ご自分では、「ファンタジー」を書いているという意識はないという。幼い頃から読んできたもの、感じてきたこと、文化人類学についてのお話を聞くと、それも必ず納得できます。インタビューは現在教授として勤めている川村学園女子大学の研究室で。非常に楽しいひとときとなりました。

その1「屋根裏部屋での本との出合い」 (1/6)

  • モモちゃんとアカネちゃんの本(2)モモちゃんとプー (児童文学創作シリーズ)
  • 『モモちゃんとアカネちゃんの本(2)モモちゃんとプー (児童文学創作シリーズ)』
    松谷 みよ子
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  • 海底二万里 (子どものための世界文学の森 7)
  • 『海底二万里 (子どものための世界文学の森 7)』
    ジュール ベルヌ
    集英社
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  • 木かげの家の小人たち (福音館創作童話シリーズ)
  • 『木かげの家の小人たち (福音館創作童話シリーズ)』
    いぬい とみこ
    福音館書店
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――今日は川村学園女子大学の上橋さんの研究室にお邪魔してますが、ものすごい数の本ですね。小さい頃から、本は好きだったのですか。

上橋 : 父方の祖母が昔語りが大得意で、たくさんの民話を聞いて育ったんです。いわゆる口頭伝承ですね。父も母も本当によく本を読んでくれましたので、幼い頃の記憶としては、本は「語られるもの」としてありました。音が好きでね、『モモちゃんとプー』の"プー"とか、『もじゃもじゃペーター』の"もじゃもじゃ"とか。後に母に聞いたのですが、何度も何度も同じ箇所を読むようにしつこくせがんで、母が飽きはてるくらいだったそうです。父には『西遊記』や『水滸伝』を読んでもらった覚えがありますね。自分で買ってほしいと頼んだ記憶があるのは『王さまの剣』という絵本。アーサー王の話です。誰も抜けなかった岩に刺さったエクスカリバーを少年が抜くというシーンが本当に好きでした。男の子が好きそうな本が好きでしたね、冒険物語とか。

――例えば『秘密の花園』よりも『海底二万里』が好き、というような?

上橋 : いえ、どっちも大好きでしたよ。『秘密の花園』はある意味、極上のミステリーだと思うなぁ。夜中に声が聞こえるとか、庭への扉が隠されているところとか。『小公女』も『小公子』も好きでしたよ。もちろん『海底二万里』も好き。『海底二万里』は、面白い出合いだったんです。母方の祖母の家が野尻湖にあったんですけど、夏休みになると親戚がそこに集まって、子供たちみんなで遊ぶという楽しい思い出があるんです。ある時、なにか親たちが出かけるような状況があって、一人でポツン、と留守番してたときがあって、その時、二階の天井に切れ込みがあるのを見つけて押してみたらカチャンと開いたんです。屋根裏に行けるようになっていたんですね。上ってみたら、何十年も封印されていたような何の装飾もない木組みの屋根裏だったんですが、私の叔父の勉強机や椅子があって、その脇に子供向けの本が並んでいたんです。その時に手に取ったのが、『海底二万里』だったんです。

――うわあ。まるで物語のよう!

上橋 : 持って降りてきてパタパタとホコリを落として読み始めて、気づいたら夜になっていて。その記憶はとっても鮮明なんです。そこから、『八十日間世界一周』や『十五少年漂流記』、『宝島』なども読みました。あとは佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』や神沢利子の『銀のほのおの国』とか。いぬいとみこの『木かげの家の小人たち』は野尻湖に疎開する話なので、読みながらすごく嬉しくて。小学校の2年か3年の頃に下村湖人の『次郎物語』を読みました。私はいじめの話って好きじゃないんです。主人公をよく見せるために相手を貶めるように書く、という話が。でも、これはおじいさんがとてもいい人だったり、たまに帰ってくるお父さんが好きだったという覚えがありますね。

――幼い頃から読書家だった、という印象ですが完全にインドアな子供でしたか。

上橋 : いや、相撲をとるのが好きで(即答)。小学校1年から3年までは台東区の根岸の小学校だったんですが、2枚並べると土俵になるマットレスがあって、体育のときに相撲をとったんです(笑)。私、すごくチビだったんですよ、今も152センチしかないんだけど。忘れもしない、中1で136センチだったから、小学校1年の頃なんて本当にちっちゃかったと思う。なのに相撲が好きでね。女の子でも、「はっけよい、のこった」の「た」で立ち上がって鳩尾のところにぶつかるとか、技と作戦によって男の子に勝てたりするんです。でもすぐにはたきこまれるようになっちゃった。(笑)

――(笑)。その一方で、長編に没頭するような子供だったんですね。

上橋 : そうですね、『次郎物語』も結構長いものね。カステラの話なんか、文章で覚えているくらい。食べ物の場面って覚えていますよね。『小公女』で、屋根裏部屋の隣の部屋で素晴らしい食卓ができあがっていく場面なんて忘れられない。

――上橋さんの作品にも、美味しそうな料理がたくさん出てきますよね。あれはこうして幼い頃に読んだものの影響なのでしょうか。

上橋 : というより本性?(笑) 自分が好きな本を考えてみると、すべてそこに行って暮らせると思える本なんですよ。そこで生活ができそうなくらい、リアルな向こう側の世界が出来上がっている本が好きだったの。そうすると、必ず食べること、寝ることが出てくる。

――ファンタジー作品、ということは意識されていましたか。

上橋 : そういう意識はなかったですね。言われてみると『だれも知らない小さな国』も『床下の小人たち』も『銀のほのおの国』もファンタジーに分類されてますけど、でも『秘密の花園』も『小公女』も日本の子供にとってはある意味で異世界ファンタジーですよね。だから好きなものというと、自分の日常世界ではないところの物語で、その物語の世界に入ってそこで住めそうなくらいのリアリティがある物語としか思っていなかった。小学校の頃は戦争ものにハマって『ふたりのイーダ』や『ゲンのいた谷』などを読みましたが、それも、悲惨で悲惨で泣きながらだけれども、一緒に疎開している気分になって、胃薬さえ美味しく感じてしまうほどの飢えを異世界のリアルとしてとらえていました。そしてもうひとつ、ハマっていたのが考古学と歴史です。ほら、夏休みは野尻湖にいたから。

――野尻湖でナウマンゾウの化石が発見されましたからね。それは何歳くらいの時ですか。

上橋 : 学校の5年か6年のときに、自由研究でオオツノジカとナウマンゾウがなぜ一緒に発見されたのか、ということを調べて書きました。  そういえば、野尻のどこかの山で筍採りか何かに行ったときに、伯父さんが化石を拾って見せてくれたんですが、それが完璧に木の葉の形が残っている化石だったんです。それはかなりの衝撃でした。そのすぐ後に、縄文土器の破片を見つけたんですけどね、これが完全に縄の跡が見えたんですよ。何千年も前の人が縄を当てて転がした手の上に、今私の手が重なっていると思った時、肌が粟立つような驚きと、虚しさを感じたんです。

――虚しさ、ですか。

上橋 : 私という人間もやがてこうなるんだ、そして物だけが残るんだと思って。その物もいつか消えるんだな、って。無常ということを最初に感じたのはその時かな。

――小学生の時にその感覚を抱くとは。

上橋 : 小さな頃からずっと「ものすごく大きなもの」を想うことがあったんです。学研の『科学』と『学習』を布団の中で読むのが憩いのひとときだったんですけれど(笑)、ほら、勉強もしないで本ばかり読んでいるので親に怒られるので隠れて読まなくちゃいけなくて。で、それを読んでいるうちに、何かの瞬間に"時"というものを考えちゃったんですね。「時は、いつ始まって、いつ終わるのだろう」と。――それこそ広大無辺な虚空の闇に入り込んでしまったような恐怖を感じました。空間というものを考えたのもその頃かな。この宇宙はどこに果てがあるんだろうって。果てがあるとしたら、その向こうは何があるんだろう、って思った時に感じた身が縮むほどの恐怖は忘れられません。  虚しさといえば、もうひとつ、たとえ命がけで努力しても、それが叶う範囲というものがあるだろうな、という思いが心の中にありました。この世の中では自分ができる範囲はものすごく小さくて、その向こう側に巨大な世界があって、それらは私の力ではいかんともしがたいものなのではないか、と。中学生になって、民主主義の社会では、個人も1票の力を持って...ということを学んだときも、政治や国家は「群れ」として動くと、個人の意志を越えた何かべつの動きに変わってしまうんだろうな、と思っていた。

――早熟であったんですね。

上橋 : そういうところだけ(笑)。だから、歴史好きだったのかもしれませんね。これがまた手の届かない巨大なものでしょう。広大な銀河のような時の流れの中で、はかなく生まれたり消えたりしていく物象の世界、という気持ちが心の中にあったんですよ。中学生の頃は相沢忠洋の『岩宿の発見』やシュリーマンの『古代への情熱』を読んだりしましたね。ギリシア神話なんかは小学生の頃に読んだのかな。中学一年で読んだパール・バックの『大地』も、世代に渡る家族の変転が面白くて。特に初代の女性が好きだったな。すごく無知な農民の女なんだけれど、奥さんになって子供を生んで、動乱が起きた時に騒動にまみれて盗みを働いて金を得たのがきっかけで家族の運命が変わっていく、というのが面白かった。海外モノも読みましたよ。ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』は、NHKのドラマのシリーズも面白かったけど、本も面白かった。ネイティヴ・アメリカンについての書き方には、様々問題視されている部分があるけれど。あれは9割がた食べ物の話じゃないかっていうところも楽しかった(笑)。あとは中学生の時に『類人猿ターザン』を読みましたね。ワイズミューラーの映画のイメージで思われるとちょっと違うんです。あれは1巻目が好き。イギリスの貴族が難破して、赤ちゃんが類人猿に育てられる。両親だと知らずに死骸や日記やナイフを発見するんですよね。育ててくれる猿の仲間と自分はどうもやることが違うという違和感を覚えていて、自分とは何だろう、ということを、両親の遺品を手がかりに知っていく。友達に話したら「それってターザンじゃん」って言われて、「お前さんがイメージしてるのとは違うんだヨ。"ア~アア~"って言うのはだね、獲物を捕らえた時にだね......ま、ちょっと寝てみ、こうして獲物に片足を乗せてだね...」と、友だちを床に寝かせて、腹に足を乗せて説明している時に先生が来て、いじめの現場発見みたいになったことが(笑)。

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プロフィール

作家。文化人類学者(文学博士)著書に、『狐笛のかなた』、『精霊の守り人』を初めとする「守り人」シリーズや『獣の奏者』など作品多数。 2002(平成14)年「守り人」シリーズで巖谷小波文芸賞受賞。他、受賞多数。『精霊の守り人』『獣の奏者』はアニメ化されている。『精霊の守り人』は北米で翻訳され、全米図書館協会から、2008年度に北米で翻訳出版された児童文学で最高の作品に与えられるバチェルダー賞を受賞している。川村学園女子大学教授としても活動中。