その1「本を読んで空想して愉しむ」 (1/6)
――星野さんは著者略歴に「ロサンゼルス生まれ」とありますが、確かわりとすぐに帰国されたんですよね。
星野:2歳半で戻ってきたので、向こうの記憶がまったくないんです。あるとしても、後から親に聞かされて捏造されたものかもしれなくて。僕としては実感がないので「東京生まれ」でもいいんですが、文藝賞を受賞してデビューが決まったとき、編集者に「目をひくからロサンゼルス生まれにしなさい」と言われて、それで(笑)。実際には東京に戻ってきてから何度か転居して、小学校に入る頃には横浜の旧・緑区、現・青葉区に住んでいました。
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
星野:小さい頃は、外に出てがんがん遊ぶというより、引っ込み思案の子だったんですね。放っておくと家にいる子だったので、親が結構本を与えてくれたんです。それをなんとなく読んでいたんですが、すごく本が好き、という自覚があったわけではないんです。与えられていたのは絵本や岩波少年文庫などですね。『キンダーブック』という子供向けの雑誌のようなものを毎月購読していたんですが、そこに載っている外国の童話が好きでした。
――好きなお話の傾向はあったんでしょうか。
星野:ありましたね。その頃から幻想的なものが好きでした。『フランダースの犬』のような話よりは、架空の設定のもの。『ほら男爵の冒険』をすごく愛読していて、『ほら男爵の冒険2』を自分で想像していたんです。めちゃくちゃ誇大妄想の話を作り上げて、誰に聞かせるわけでも書くわけでもなく、ブツブツつぶやいていました。あとは何かの雑誌の読書特集のようなものに『まほうのレンズ』という話が載っていたんですね。そのレンズを通して見ると、人間が人形やオブジェになってしまう。それもすごく好きでした。そのレンズが壁のねずみの穴にはまってしまって、ねずみがレンズを通して見た瞬間に人間たちは固まってしまう。自分も一人遊びで「今ねずみに見られている」と想像してオブジェになるフリをしていました(笑)。あとは小学校低学年の頃、同じマンションの中に引きこもりぎみの子がいて、親に友達になるように言われて仲良くなったんです。その子の家が図書館のように蔵書があってしょっ中本を借りていました。『大どろぼうホッツエンプロッツ』や『長くつ下のピッピ』を憶えていますね。あとは『名探偵カッレくん』のシリーズも好きで、そこからホームズ、ルパンなども読むようになりました。それは10歳を過ぎた頃かな。江戸川乱歩をみんなで競って買って貸し合って盛り上がっていました。でも少年もののシリーズの中でも、僕が好きだったのは探偵団が出てこない、猟奇的なものでしたね。
――友達同士での情報交換もさかんだったんですね。
星野:小学校4年か5年のときに転校してきた友達がSF好きで、少年向けのSFも読むようになりました。『怪奇植物トリフィドの侵略』などが入っているシリーズにハマりました。しかもその友達は画期的な文化を持ち込んできたんです。自分でも小説を書いていたんですね。それで「俺もやる」と言って、大学ノートにSF小説を書き始めました。放課後に「今日は帰ったら書く?」なんて言って、彼の家に行って二人で書いて、見せ合うんです。彼は教室でも笑いをとっていたんですが、書いているものもSFなのにお笑いにになっていて。ヘンなキャラクターばかり書くんですね。僕はオリジナルの物語を作るというより、すでにあるものの真似をして細部を作り変えていっていました。どんどん書きかえるうちにヘンなものが出てくるんです。ウェルズの『宇宙戦争』を真似したものとか、ヘンな病気で人類が次々と異常な死に方をしていくとか。
――楽しそう。インドアな子供だった印象ですが、ただ、星野さんというとサッカー好きで有名。現在もフットサルをなさっていますが、子供の頃はやらなかったんですか。
星野:自分が子供の頃は野球が流行っていたんです。僕は野球が苦手で、外で遊ぶのが嫌だったんですね。でも小学校5年生のときに新しく赴任してきた若い先生がサッカー好きで。メキシコオリンピックでの釜本の活躍に熱中した世代だったんですよ。道徳の授業に外でサッカーをさせて、「僕の道徳とはサッカーである」と言うような人で(笑)。僕もみんなも、サッカーをするのははじめてだったので、すごく楽しんでいました。