その1「実は、文学一家に育つ」 (1/6)
――幼い頃の読書の記憶といいますと。
平山:今日訊かれると思って考えたんですが(笑)、思い出せないんです。絵本は読んでいたんですけれど。習慣的に読書をはじめたのが高校生くらいの頃なので、小学生の頃に読んだ本で記憶に残っているのはリンドグレーンの『名探偵カッレくん』のシリーズくらい。姉がハマっていて、なんとなしにつきあう形で読み始めたんです。でもそれが、僕が創作を始めたこととリンクしてくるんですが、同じリンドグレーンに『やかまし村の子どもたち』のシリーズがありますよね。読んではいないんですが、「やかまし村」という言葉が面白くて、姉と二人でやかまし村の物語を作っていたんです。ぬいぐるみを使いながら対話をして、それを後で書き取っていました。それが僕の創作の原点。ずっと忘れていたんですけれど、「カッレくん」のことを思い出した時に、そういえば! と。ぬいぐるみもわざわざ買ってきたものではなくて、銀行の景品などだったんですが、アメディオみたいな猿のぬいぐるみにポールと名前をつけて...なんでポールなのか分からないんですけれど(笑)、豚の小さなマスコットにはパールと名前をつけ、ポールとパールが中心キャラクターとしてやかまし村で活躍するんです。他に雑魚キャラもいっぱいいて。それが小学校2年生くらい。
――それで、後から物語を書き取っていたんですか。
平山:一人何役もやって、アドリブで対話していたんですが、それに多少整合性をつけた形にして書き取るのが定例化していたんです。何かしら騒動が起きて、解決するっていう。どこかに残っているかもしれないので、読み返してみたいですね。
――ポールとパールはどうなったんでしょう。
平山:現物は今も持っているんです。すごく汚くなっているけれど捨てられなくて。何年か前に実家から引き取ってきて、それがポールとパールだったことは憶えていたんですが、「やかまし村」のことは忘れていて。今回、何10年ぶりかに思い出しました。
――お姉さんは文学少女だったのですか。
平山:姉はもう、自覚的に本好きでしたね。うち自体、父親が大学教授で、母親も永遠の読書少女で。そうした家庭だったので、家の中に本が山のようにありました。読書することが当然だったんです。でもなぜか僕はその風潮に抗って、染まらないようにと本をあまり読まなかったんです。
――そういえば、曾おじいさんが作家だったそうで。
平山:そうなんです。でも曽祖父が築いた財産を、祖父が一代で崩してしまったという。放蕩じじいだったんです(笑)。本人は世紀の大作の執筆中のつもりだったようですが、でも結局右翼の雑誌につまらない随筆を載せたくらいで。父親はそういう人を見ていて自分がちゃんとしないといけないと思ったのか、立派に教授を務めてきたんですが。
――お父さんは何の専門なのですか。
平山:日本文学で、『万葉集』が一番の専門ですが、谷崎潤一郎や森鴎外や川端康成といった近現代あたりもやっていました。
――じゃあ、ちょっと勉強しようと思ったら、参考資料はたくさん自宅に。
平山:ありましたね。買う必要がなかったです。母も純文学系の本がすごく好きで、つねに何かを読んでいました。専業主婦としては珍しいくらい。実は本人も学生時代に書いていて、芥川賞の候補になったこともあるんです。年鑑を見ると、旧姓の加藤浩子という名前が載っています。同人誌に載せたものが候補に選ばれたらしい。
――えええっ! 初耳ですよ!
平山:サラブレッド扱いされるのが嫌で、言わなかったんです。自分の努力が無にされる気がして。日本ファンタジーノベル大賞を受賞した直後にインタビューを受けた時、曽祖父の話をしたら完全にそういう記事になってしまって。それで今まで話していなかったんですが、もういいです、解禁です(笑)。母が書いたものは、僕は成人後に読ませてもらいました。原稿用紙に書かれたものを。書いた当時の母は20歳くらいで、それよりも年上になった僕が読むと、うまいとは思うけれど、ちょっと恥ずかしかったですね。背伸びしちゃって、という感じで(笑)。本人は作家になりたいという野心はなくて、それ以上書こうとはしなかったようです。それより先生になりたかったようで、教職の免許も取ったけれど、父に家にいてくれと言われて諦めたそうです。作家になる、ならないより、そっちのほうがよっぽど辛かったらしい(笑)。
――平山家の食卓では、文学の話題が上ったりしたんですか。
平山:普通に「大江の新作面白かったね」なんて話していましたね。ヘンな家だとは思っていました。僕は抵抗していて、あえて読まなかった。時々本を読む時期はあったけれど、全然読まない時期もあって。