その1「探偵小説好きの少年」 (1/5)
――東川さんは、広島の尾道のご出身ですよね。
東川:はい。でもわりとすぐに引っ越したのであまり記憶はないんです。父が海上保安庁の航路標識事務所という、灯台などを管理するところに勤めていたので。尾道から呼子、佐世保、下関、鹿児島と移動して、大学で岡山にいきました。
――ああ、東川さんの『もう誘拐なんてしない』で門司港の周辺が出てくるのは、実際に近辺に住んでいたからなんですね。あれ、じゃあなぜ広島カープのファンなんですか。
東川:広島育ちだからということではないんですよ。物心ついてちょうど野球をおぼえはじめた時に広島が初優勝したんです。昭和50年ですね。それでファンになりました。
――なるほど。さて、幼い頃の読書体験はといいますと...。
東川:本を読んだ、と実感した経験は、あかね書房の子ども向けに書かれた古典ミステリのシリーズですね。小学校3年か4年の時です。そういう本が好きな友達がいて「面白いから読んでみろ」と言われたんです。最初に手にしたのがエラリー・クイーンの『靴に住む老婆』。面白かったですね。ミステリというものを読んだはじめての体験で、ああ、こういうものがあるのか、という印象。あとは名探偵が格好いいと思った記憶があります。ただ、珍しいことではないですよね。多くの人がポプラ社のホームズやルパンを手にするところを、たまたま僕はあかね書房だったというだけで。
――ルパンやホームズは読みましたか。
東川:あかね書房のシリーズを読んだ後、すぐ読むようになりました。海外のミステリを図書館で借りてざーっと呼んで、読み終わると2周目に入って...。だいたい全部読み終わる頃には前に読んだものの内容は忘れていますから、何度読んでも面白かったんです。ただ、乱歩の少年探偵団のシリーズには手を出さなかったんですよ。大乱歩の偉大さに気づいていなくて、ちょっと虚仮おどし的な匂いを感じていたような気がします。あの時に読んでおけばよかった、とつくづく思いますね。
――好みがはっきりしていたんですね、きっと。
東川:ただの偏見だったと思います。ホームズとルパンでは、僕はルパン派でした。もちろんホームズも大好きなんですが、ルパンのほうが華があって洒落ている印象があったんです。美女が出てきてちょっといい感じになったりして。ホームズの話に美女が出てきても、決してホームズと仲良くなるわけじゃないですからね。アニメの『ルパン三世』が放送されていた世代でもあるけれど、僕のヒーローはアルセーヌ・ルパンのほうでした。あとは金田一耕助も好きでしたね。それは映画が先です。『犬神家の一族』の映画が1975年で、小学校の頃にテレビで観た記憶が鮮明にあります。でも原作は小学生には難しくて、読んだのは中学生になってからでした。
――どんな子どもだったんですか。引越しで転校が多くて大変ではなかったですか。
東川:プラモデルとかが好きな、普通の子どもだったと思います。スポーツはあまり得意じゃなかったかな...。引越しについては、ちょうど幼稚園から小学校に移る時とか、小学校から中学校に移る時に引っ越していたので"転校"という感じでもなかったんです。唯一、高校は転校しました。山口県の豊浦高校から鹿児島高校に転入試験を受けて移りました。
――さて、中学時代の読書生活といいますと。
東川:子ども向けのルパンやホームズは卒業して、一般のミステリを読むようになりました。最初がディクスン・カーだったんですよ。『連続殺人事件』を創元推理文庫で読みました。あかね書房のシリーズにカーが何作かあったので名前を知っていたんですが、書店の文庫の棚を観ていて『連続殺人事件』というタイトルがあまりにストレートで気になって手にとったんです。面白かったですね。そこからカーを読むようになり、クリスティーの『オリエント急行殺人事件』や『アクロイド殺し』、エラリー・クイーンの国名シリーズなどを創元推理文庫で読んでいました。書店で文庫の棚を眺めて、本格っぽいものを選ぶ感じだったと思います。特にミステリについて話ができる友達もいなくて、完全に一人で読み進めていました。海外ミステリが中心だったんですが、ある程度それぞれの作家の代表作を読んでしまった後は、以前から気になっていた横溝正史の原作を読むようになりました。いずれにせよ、やっぱり探偵小説が好きでしたね。中学生時代はミステリ以外のものを読んでいた記憶がないんです。
――その頃から国語や作文は得意だったんですか。
東川:国語は得意だったような気がします。読書感想文は好きではなかったんですが、校内のコンクールで入選して賞状をもらったことがありました。でも何について書いたのかは憶えていません。
――小説家になりたいとは思っていなかったのですか。
東川:自分でミステリを書いてみたい気持ちはあったと思いますが、でも中学生が横溝正史を読んだところで、自分でもそうしたものが書けるなんて思わないですよね。ミステリは面白いし自分でも書きたいけれど、自分では書けないなという感覚だったと思います。
――高校生になってからはいかがでしたか。
東川:1年の夏にはじめて赤川次郎さんを読みました。角川映画が全盛で赤川さん原作の『探偵物語』や筒井康隆さん原作の『時をかける少女』が公開されたりして、書店にいくと角川文庫の赤川・筒井フェアをやっていたんです。その時に赤川さんと筒井さんを読みました。当時赤川さんは角川文庫で20点くらいあったのかな...。まとめてバババーッと読みました。ハマったということですね。それまでずっと本格を読んできたので、新鮮だったんでしょうね。さっきの話になりますが、中学生が横溝を読んで自分でも書けると思わない。でも、高校生が赤川さんを読むと、それでも書けるとまでは思わないけれど、ものすごく身近に感じるんですよ。主人公の設定も自分にとって身近でしたし。
――以前、『死者の学園祭』をお気に入りの一冊に挙げていましたよね。
東川:初期の長編ですし、主人公が女子高生の学園ものだというのが新鮮で。実際、あれは傑作なんです。あとは『名探偵はひとりぼっち』という作品。200枚くらいの中編で、中途半端な長さのせいか代表作とは言われていない。一度ドラマ化されてはいるらしいんですが、それはずっと後になって知りました。赤川さんは女子高生が主人公のものが多かったのに、これは男子高生が主人公のハードボイルドみたいな作りの作品です。男の子が町を歩いていたらいきなり可愛い女の子が走ってきて、これを預かっていて、といって包みを渡される。あけてみると拳銃なんです。そこからヤクザの抗争に巻き込まれていく。これが実は傑作なんです。赤川さんに他に似た作品がないか探したんですけれど、男の子の一人語りのものってないんですよね。赤川さんのなかでも異色の作品だと思います。実は僕の『もう誘拐なんてしない』で、大学生がセーラー服の女の子と出会うシーンは、明らかにこの作品を意識していました。
――では高校時代はもっぱら赤川作品を読んで...。
東川:森村誠一さんも高校時代に読みました。赤川さん、筒井さん、森村さん......当時は角川文庫ばかりでしたね。借りて読むのが好きではなくて、全部買っていました。若干コレクションという気分もあったかもしれません。だから角川文庫ばかりだったのかな。その頃はあまり本格ミステリにこだわらなくなってきていました。