その1「エンタメ小説好きの少年」 (1/4)
――幼い頃の読書の思い出を教えてください。
池井戸:小学校2年か3年の頃、風邪をひいて寝込んでいたら、父親が本を買ってきたんです。『もし...こんなことがおこったら』という化粧箱入りのとても分厚い本で、科学などいろんなことが書かれてあるんですが僕には難しかった。それが本を買ってもらった最古の記憶です。それからしばらくして、おばが『トム・ソーヤーの冒険』を買ってくれたんです。それも箱に入っていましたね。その時の自分より少し年齢が上の設定だったのでなかなか読めなかったんですが、4年か5年の時に読んだらすごくよかった。そんなつもりじゃなかったのにおばさんに誤解されて、トムが泣きながら歩いていく場面は子どもながらに「分かる分かる」という共感がありました。この2冊が原初的な読書体験です。その頃から図書館に通うようにもなりました。そこでよく読んだのは伝記。シューベルトの家が貧しくて、合唱隊に入って他の子どもがいい服を着ているのに彼だけみすぼらしい服装をしていたので笑われるけれど、試験になるとあまりに上手いのでみんなが驚く、という場面を読んで「格好いい」と思ったり。ベートーベンに会いにいく場面も憶えていますね。もちろんベートーベンの伝記も読みました。同時に熱中していたのは江戸川乱歩です。
――少年探偵団のシリーズですか。
池井戸:そうです。それはほとんど読みました。中学校の時には何を読んでいたのかな...。高校の時は雑多な読み方をしていました。結構気に入っていたのが庄司薫。『赤ずきんちゃん気をつけて』を読んで「おおーっ」と思って。『さよなら怪傑黒頭巾』『白鳥の歌なんか聞えない』『ぼくの大好きな青髭』という赤黒白青の四部作も読んだし、本名の福田章二の名で中央公論新人賞を受賞したデビュー作の『喪失』も読みました。同時に星新一、筒井康隆も読み漁りました。古典文学なども読まないわけではなかったけれど、国内のエンタメ作家の小説が多かったですね。
――本好きの少年でしたか。
池井戸:そうでした。うちの父親も本が好きだったんです。僕は岐阜県の田舎、標高500メートルくらいの寒村に住んでいて、小中学校も33人のひとクラスしかなかった。勤め人というと役場や郵便局の人か工場勤めの人で、東京にいるようないわゆるバリバリのホワイトカラーなんていない。そういう環境だったんですが父親は本好きで、壁一面に本棚があって、高橋和巳の本などが並んでいました。純文学が好きだったようですね。自分でも散文詩を書いて応募して賞をもらったりしていました。僕にも自分の詩を読ませるんですが、気取った感じのものでした。その親父が「このくらいの文章が書けるといいよな」とポンと見せてくれたのが赤江瀑さんの『海峡』だったと思います。1ページ目を読んで美しい文章だなと思い、『ニジンスキーの右手』なども高校生の頃に読みましたね。耽美的なものというと連城三紀彦さんが直木賞を受賞した『恋文』や『戻り川心中』なども読みました。
――高校を卒業後、慶応大学に進学して東京に出てこられたんですよね。読書生活に変化はありましたか。
池井戸:大学に入ってなぜか推理小説同好会に入ったんですよ。「バカミス」の概念を提示した小山正や評論家の村上貴史がひとつ下にいて、もうちょっと下に書評家の杉江松恋や文春の編集者の永嶋俊一郎、『ミステリマガジン』編集長の小塚麻衣子とかがいて。そこで翻訳ミステリの世界に足を踏み込んだわけです。僕はそんなに読んできたわけじゃなかったんだけど、あの人たちは狂ったように読んでいて、熱く語っていましたね。それで僕も読むようになったんですが、日本のエンタメにはないテイストがあって、なるほどと思いました。ウィリアム・アイリッシュがすごく好きでした。マイケル・バー=ゾウハーやジョン・ガードナーが書いた新しい「007」シリーズも読みました。あとはこれ(と、本を取り出す)。セシル・スコット・フォレスターの「ホーンブロワー」シリーズ。これはイギリスの海軍士官の候補生ホーンブロワーが挫折しながらも成長していくという、血湧き肉躍る海洋冒険シリーズです。今日持ってきたのは第三巻の『砲艦ホットスパー』。ここでホーンブロワーははじめて小さな砲艦を任されて、小さいながらに大活躍するんです。このシリーズは相当読んでいます。
――第1巻のタイトルが『海軍士官候補生』で、第10巻のタイトルが『海軍提督ホーンブロワー』。どんどん出世していくんですね。
池井戸:そうなんです。海外小説の元祖『課長島耕作』みたいなものです(笑)。中間管理職のようなところもありますね。それに順調に偉くなっていくわけではなくて、スペインで捕虜になっている間に向こうの人と結婚するんだけれども脱出して戻ってくるなど、物語が奥深くて、ものすごく面白い。それと...(ともう一冊取り出す)、アーウィン・ショーの『ビザンチウムの夜』。『ザ・ニューヨーカー』という文芸系の雑誌に都会的な小説を書いていた作家たちを"ニューヨーカー"と呼ぶんですが、その最たる人がアーウィン・ショー。『夏服を着た女たち』という短編集に収録されている「八〇ヤード独走」なども有名ですが、僕はこの長編が好きでした。映画プロデューサーのひと夏の話で、これが小洒落ていて、この作風にすごく憧れました。とくに小泉喜美子さんの訳が素晴らしい。
――多くの人気作品を翻訳されているし、ミステリ作家としても活躍された方ですね。
池井戸:軽やかさと華やかさがあるんです。嵐の中で飛行機に乗っていて、窓に雨粒が垂れているのを「亡霊の指先のような雨粒」などと表現したりする。そういう洒落た比喩に憧れて、自分でも書いてみたりしました。大学生活の後半になると自分でも小説を書き始めていたんです。当時は完全に"ニューヨーカー"を意識して翻訳文体の凝った比喩を作っていました。それがまったく意味のない嫌ったらしい文体なんだと後々気づいていくわけだけど。今では「俺は巧いぞ」風の文章は大嫌いで、普通に読めるものがいちばんだと思っています。文体にこだわっているうちはプロの作家にはなれないんじゃないかな。