その1「物語のなかに入り込む少年」 (1/6)
――いしいさんは小さな頃から相当な読書家だったそうですね。
いしい:実家に福音館書店の「こどものとも」のシリーズがずらーっと並んでいたので、それを読んでいました。今はそれを僕の子どもが読んでいるんですけれど、奥付を見ると昭和38年が初版の本なんかがありますね。僕は昭和41年生まれで、兄が39年生まれなので、その頃に出た本が多いんです。「こどものとも」は月1回2冊くらい届いていたんですが、自分では選ばないような、思ってもいないものがくるのがよかったと思う。一通りめくってみて興味のないものはそのままにするんだけれども、半年経って開いてみるとい面白さが分かったりしていた。その頃の「こどものとも」はのすごい才能を持った人が毎号書いていたんです。詩人の谷川俊太郎やまどみちお、グラフィックデザイナーの亀倉雄策、『しょうぼうじどうしゃじぷた』の絵を描いている山本忠敬...。あとは「旺文社文庫」という読み物のシリーズ。父が大阪でいちばん古い学習塾をやっていたんですが、旺文社は参考書も作っているところですから、それで「旺文社文庫」が箱入りで送られてきていました。参考書や料理本や写真集も含めて、本は家じゅうにありました。
――ご家族みんな読書家だったとか。
いしい:4人兄弟だったんですが、兄も僕も双子の弟も、あと祖母もよく読んでいました。でも、そのなかでも極端だったのが僕だったみたいです。母が僕の家内に「この子はどこに行っても隅っこで本を読んでいた」と言っていました。親戚の家でも、兄は活発なのでみんなと遊び、弟たちはそれにくっついていて、僕だけずっと本を読んでいたようです。全然憶えていないんですけれど。
――どんな本を読んだのかは憶えていますか。
いしい:憶えていないんです。というのも、のめり込んでいましたから。大人のように、自分がいて本があるという向き合い方もしていなかったし、この話が好きだとかこの台詞が好きだといった読み方はしていなかった。本の中に潜っているような感覚だったので、記憶に残らなかったんです。走っている時のランナーがまわりの風景を記憶に刻まないのと一緒。「こどものとも」は毎月毎月いろんな色のプールが届くようなもので、そこに飛び込んでいました。浅瀬ですぐ帰ってくるものもあれば、最初からどぶんと深く潜ってその色まみれになって遊ぶ本もあった。何百回と繰り返し読んだ本のはずなのに憶えていないから、今読み返して「ああ、こんな話だったのか」と驚きます。例えば『かばくん』という本は動物園の一日の話で、かばくんに会いに来た子どもが出てきたり、かめが出てきたり、かばくんがキャベツをぱくっと食べたりする。その都度、その人やその動物になっていたと思います。『とこちゃんはどこ』は迷子になった子を探す絵本で、自分も一緒になって迷っていた。だから1時間でも2時間でも見ていたわけです。ホール・エッツの『もりのなか』は男の子が森の中に行くとライオンやゾウやトリやウサギが出てきてみんなで楽器を持って行進するんですが、最後にお父さんが来たら動物たちがみんないなくなる。男の子は「またくるからね」と言って帰っていく。この本もボロボロになっているんですが、読んだ記憶がない。他にも『ぐりとぐら』『ふるやのもり』『しょうぼうじどうしゃじぷた』『のろまなローラー』なんかも読んでいました。
――後でもおうかがいしますが、いしいさんの『ぶらんこ乗り』の冒頭の「たいふう」は、4歳半の時に書いたものをそのまま使っているとのこと。ご自身でもいろいろ書いていたんでしょうか。
いしい:いろんなものを書いたり作ったりしていたようですが、これも憶えていないんです。飼育当番で十姉妹の世話をしたり伝書鳩を家の近所で放したことなんかは憶えているのに、読んだり書いたりしたことは30歳すぎまで思い出しませんでした。もちろんそうした経験は血肉になっているし、自分にとっていちばん大事な体験です。だからこそ記憶の規制のようなものが働いたのかもしれません。陽に当てて色褪せたりしないように、時がくるまで底のほうで守られてきた記憶なんでしょうね。
――4歳半以降の読書はいかがでしたか。
いしい:言葉の本になってくるとタイトルは憶えているんです。『チムとゆうかんなせんちょうさん』や『いやいやえん』、「ドリトル先生」のシリーズも好きでした。いちばん好きだったのは『ドリトル先生と秘密の湖』。アフリカの奥地に巨大な亀が2匹いて、そこに往診に行くんですが、この亀がノアの方舟の生き残りなんです。後から知ったんですけれど、第二次世界大戦の頃に書かれたものなんですね。そのためか、人間の歴史が成功だったのか失敗だったのか、問いかけるような内容だった。シリーズの他の本は動物たちを助ける話だけれども、この「秘密の湖」だけは、ドリトル先生がぽつんと立たされているような感じなんです。「お前は人間だろ」「人間は何をしたんだ」という問いがこだましているかのよう。それがすごく好きでした。あとはルパンや名探偵明智小五郎のシリーズも読みました。少年探偵団が出てこないものが好きでしたね。ポプラ社のシリーズの中にも、少年たちが出てこないものがありますから。
――少年探偵団が出てこないもの、とはどうしてですか。
いしい:「がんばれ、がんばれ」と言われてがんばって最後に「やったあ!」となる予定調和的な感じが嫌いでした。少年たちが言う「ぼくら」という言葉も嫌いだった。少年探偵団の子どもたちは、みなしごとか言いながらも助け合って謎を解決していく。誰も怪我したりひどい目にあったりしない。それはなにか違うなあと思っていました。それ以外の乱歩の作品はもっと暗くて触れたらあかんものが書かれているように思えるのに、少年探偵団が出てくるものはかなり違う。本当に同じ人が書いたんだろうかと疑っていたくらい。それに単純な謎解きや冒険活劇ならルパンやホームズのほうが面白かった。主要人物がみんな大人だし、子どもが出てきたとしても結構ひどい目にあったり、調子にのったあげくに足手まといになったりする。そういうのが本当だろうと思います。あ、少年探偵団でも少年が捕まってロープでぐるぐる巻きにされる場面は好きでしたね。ロープに米粒をなすりすけて、ネズミに齧られるようにする。「少年はできるだけネズミのほうを見まいと顔をそむけました」というような文章でしたね。そういう場面ばかり探していました(笑)。ただ、子どもが活躍するものでも、ケストナーの本だけは異様に好きでした。『点子ちゃんとアントン』『エーミールと探偵たち』とか『ふたりのロッテ』とか。大人の世界を子どもに当てはめてごまかしているのではなく、子どもというものがただの人間だってことがちゃんと書いてありましたから。日本のものはちょっと違った。最近でも、昭和40年くらいのLPレコードを聴いていると「みなしご」とか「親のない子」というのがよく出てくるのに気づく。親がいなくて子どもがすさんでいる、という状況が普通にあったんでしょうね。おばあちゃんは口癖のように「そんなことしていると浮浪児になるよ」と言っていた。僕らの子どもの時代って、戦中「鬼畜米兵」と言っていたのがいきなり民主的な規範を持ってこられた頃で、浮浪児といい子がいて、そのどちらでもない子が両方を仲良くさせるという民主主義的な話が多かったように思います。