その1「子供がたくさん出てくる話が好き」 (1/7)
――いちばん昔の読書の記憶は、やはり絵本でしょうか。
津村:絵本ですね。ディズニーの『しらゆきひめ』とか『眠れる森の美女』といったものを親がひととおり読んでくれました。カトリック系の幼稚園に通っていたんですが、年少さんの時に新約聖書の本とお話の本、年長さんの時に旧約聖書とお話の本と社会見学の本をもらっていました。どれも面白かったですよ。
――本を読むことは好きでしたか。
津村:好きでした。本を読んでいれば静かにしているので、親もどんどんくれました。今でもすごく憶えているのは、家の1階の日当たりのよい6畳間で、『一休さん』とか『一寸法師』のお話のテープを聴きながら絵本を読んでいたこと。年長さんの頃には字が読めたので、文字が細かい本ほど嬉しかった。『ヘレン・ケラー』と『キュリー夫人』と『ナイチンゲール』といった伝記を読みましたね。親が読ませようとしていたんです。本屋の伝記コーナーに連れていかれて「どれがいい?」と訊かれたら、やっぱり女の人がいいじゃないですか。エジソンとかリンカーンとか言われても何した人かようわからへんかったですし。それで女の人を選ぶぼうとしても、ヘレン・ケラーとキュリー夫人とナイチンゲールの3人しかいないんです。でも子供向けやから4ページにひとつくらい絵があって、それがとてもきれいで嬉しかったです。
――小学生に入ってからは。
津村:小学1年生になって物語が解禁になって(笑)、はじめて読んだのはアンドレ・モロアの『デブの国ノッポの国』です。タイトルが面白くて選びました。デブの国とノッポの国が間の海にある島を「デブノッポ島」にするか「ノッポデブ島」にするかでケンカするんですよね。他には、『若草物語』もすごく好きでしたね。『赤毛のアン』は主人公が一人しかおらんけれど、『若草物語』は四姉妹におかんにメイドさんと女6人で、みんなでお菓子食べたりお喋りしたり、かしましい感じがすごく楽しかった。その点アンは寂しいと思っていたんです。今読み返したら面白いのかもしれないけれど。当時から登場人物が多い話が好きでした。そうしたら親が『宝島』を選んでくれたけれど、それは出てくるのがおっさんばかりで。やっぱり子供がたくさん出てくる話が好きでした。男の子の話やったら『十五少年漂流記』、女の子の話なら『若草物語』ですね。
――自分で物語を空想することはありましたか。
津村:年長さんの時にパクリの話を書きました。親が広告の裏にマス目を書いて原稿用紙を作ってくれて、そこに幼稚園でもらった絵本を真似して書きました。小鳥が5羽出てくる話を猫3匹にする、という感じで設定を変えて書くんです。それはたしか『おひさま』という絵本でした。その頃は将来小説家になりたかったんだと思います。その後いろんな職業を知ると、そっちのほうになりたくなって。
――他には、何になりたいと思ったことがあるんですか。
津村:陸上選手。短距離の選手になりたかったですね。すごく足が速かったんです。でも小学校何年生の頃からかそんなに速くなくなってきて、興味もなくなっていきました。
――作文は得意でしたか。
津村:得意かは分からないけれど、書くのは好きでした。人より苦痛なくやっていたんですけれど、小3の時にそれまで「ですます」で書いていたのを「そんでもって」みたいな口語の言葉で書いてみたら、先生にめっちゃ怒られたんを憶えてます。「正しくない日本語を使っている」って。今考えると先生が怒る気持ちも分かるけれど、よう書いたなと思います。その時は「えーあかんねやー。そうすかー」という感じで、そこからすっかり大人しくなりました。家では小説を書いていたと思います。児童文学のパクリで冒険ものを考えて人物設定を作って、そこで満足して実際には2ページくらい書いてやめちゃうということをずっとやっていました。書き終わらなかったですね。
――その後の読書はいかがでしたか。
津村:3、4年生の時に読んだものはあまり憶えていないんです。漫画はいろいろ読みました。『少年ジャンプ』の他に少女漫画もいろいろ。岡田あーみんの『お父さんの心配症』は今でも月1くらいで読みます。それで、小5になるとラノベを読み始めるんです。スニーカー文庫が出たての頃で、小5と小6はそれですね。『ロードス島戦記』とか。ドラクエのブームがあって、それがきっかけで......そうですそうです、小3から小6までは本を読まずにドラクエをしてました。小3の時に「2」が出て小5の時に「3」が出たんかな。それでロールプレイングゲームが好きになって、攻略本を隅から隅まで読んでいました。幼稚園までは神童ぽかったのに馬鹿になりました(笑)。