その1「アメリカに馴染めなかった小学生」 (1/6)
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- 『魁!!男塾 第1巻』
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――最初に確認なんですが、宮内さんは東京で生まれて幼少期はアメリカだったのですよね。
宮内:はい、4歳で西海岸へ行ってからすぐにニューヨークに行き、中学1年生の時、こちらでいう2学期の終わりの頃に帰国しました。その時に11歳だった説と12歳だった説があります。私、誕生月が1月なものですから。
――となると、いちばん古い読書の記憶って英語の本だったりするんでしょうか。
宮内:そうですね、今お話しした経緯があったものですから、ABCブックと呼ばれる絵本を明確に憶えています。AはApple、BはBear、CはCandy、といった内容のものですね。それをアメリカ行きの飛行機の中でポンと渡されて、読まされたのです。
――それまでアメリカ行きにそなえて英語の勉強をさせられわけではなかったんですね。ご兄弟はいらっしゃったのですか。いれば会話の相手がいるから上達もはやそう。
宮内:ひとりっ子です。向こうで幼稚園的なところに放り込まれて、あとは丸投げでした。最初はまったく喋れなかったそうですが、ある日女の子にいじめられて帰ったところ「ぶたないで」「食べちゃうぞ」という2センテンスの英語を教え込まれまして、それを実践したところなぜか仲良くなって、それで気づいたら英語もある程度身につけていたとのことです。
――なるほど。じゃあ、その後の小さい頃の読書も記憶はやはり英語の本ですか。
宮内:日本の漫画を買い与えられることが多かったです。日本語を忘れないようにという意図があったようでして。そのせいで家では日本語、読むのも日本語で、バイリンガルになりきれずに適応しきれなかった面があります。小学生の頃読んでいた漫画は『ドラえもん』や『パタリロ!』。本で一番強く記憶しているのは、『トムは真夜中の庭で』でした。謎があって真相があるという形をとっているので印象に残ったのだと思います。考えてみればそれがSF的なるものとの最初の接点だったかもしれません。他には『ゲド戦記』ですとか。どちらも日本語で読んでいます。
英語で読んだものといえば、むしろ学校で読まされたものでした。たとえば、しばらく前に翻訳者の浅倉久志さんを偲んで大森望さんが編んだ『きょうも上天気 SF短編傑作選』の表題作、ジェローム・ビクスビイの〝I'ts a beautiful day〟とか。たしかアメリカの田舎町がある日突然世界から隔絶されてしまって、その中の一人の超能力少年が権力を握るんですが、子どもですから何を基準にしてキレるか分からず、みんなその子の顔色をうかがいながら過ごして......という。授業で読んだわけですが、子どもに「アンファン・テリブル」を読ませてどうするのって今思いました(笑)。
――「恐るべき子どもたち」モノですね(笑)。平日は現地校に行って、週末は日本人の児童が集まる補習校に行くような感じでしたか。
宮内:補習校には行きませんでした。母が日本語の教科書を取り寄せまして、土曜日にそれで国語や算数を勉強していました。子ども心にその時間がとても退屈で、かといって当時のニューヨークは危険なので外で友達と遊んだりということもできなくて。
――じゃあ、平日も放課後は家で本を読むことが多かったんですか。
宮内:何をやっていたのでしょう......。少なくとも宿題はできない子でした。メモをとっても家に帰ると忘れてしまって。小学生高学年になってからは『週刊少年ジャンプ』を買い与えられてよく読んでいました。『ドラゴンボール』の連載でいうとナメック星あたりの頃ですね。どういうわけか私は『魁!男塾』が大好きでして、それは単行本でも買い与えられました。親の感想でひとつ憶えているのは、「この話のいいところは、友達を大切にするところだね」と。