その1「幼稚園の頃から創作していた」 (1/5)
――小さい頃の読書の記憶といいますと。
芦沢:振り返ってみると、結構偏っているんです。小さい頃はやはり絵本を読んでいたのですが、『ねないこだれだ』とか『ふうせんねこ』など、せなけいこさんの本が家にいっぱいありました。どれも予想外のラストなんですよ。たとえば『ねないこだれだ』は「寝ないと駄目だぞ」「寝ないとお化けが来るぞ」と脅かす、しつけ的な内容からと思ったら、最後に本当にお化けの国にいっちゃうんです。『ふうせんねこ』も「そんなに何度も嫌だといってふくれていると、ふうせんねこになっちゃうぞ」と言われるんですが、そのままぷくぷく膨らんで飛んでいっちゃって終わり、みたいな。絵本によくある「最後はハッピーエンド」という収まり方をしないラストで、それに妙に惹きつけられていました。怖い感じもあるんですが、楽しそうでもあったんですよね。案外、お化けの国でも楽しくやっているんじゃないかな、とか。自分の知らない世界に連れて行ってくれる感じがあって、怖いけれどちょっと楽しい本として繰り返し読んでいました。お化けの国に行ったところから空想を広げていくのが好きだったんです。
――その頃からお話を考えるのが好きだったんですか。
芦沢:最初に小説らしきものを書いたのは幼稚園の頃でした。友達とイラストありの交換日記をやっていたのが、途中から吹雪の山荘とかの話になって...(笑)。雪が降ってきて閉じ込められた! どうしよう、みたいなことをお互いに延々と書いていました。今考えてみたら、あれはリレー小説だったなと。
――幼稚園の頃からとはすごい...! 家には本がたくさんあったのですか。
芦沢:特に母が本好きで、結構ありました。小学生の頃、星新一の『悪魔のいる天国』が家にあって、字が小さいけれど短いから読めると思って読んだら、あまりの面白さに感動して、学校の図書室で星新一という名のつくものを全部借りて順番に読んでいきました。最後にもう読みた過ぎて『明治、父、アメリカ』みたいな、全然ショートショートではない著作まで読んじゃうくらいでした。
――絵本から児童書に移行はしなかったのですか。
芦沢:実は私、児童書らしい児童書をあまり読んでいないんです。絵本から一足飛びに星新一とかに行ってしまったのと、『シートン動物記』とか『ファーブル昆虫記』とか『アンネの日記』とか、ノンフィクション的な方向に興味がいってしまって。小説でも沖縄の問題が描かれる灰谷健次郎さんの『太陽の子』とかが好きでした。「この世界の中で何が起きているのか知りたい」という気持ちが強かったんだと思います。自分の生まれた年にあった新聞を見てみましょうという授業があった時、ちょうど私が生まれた年にグリコ・森永事件があったと知って「なんだこれは」と思ってすごく調べて、脅迫状の文言を全部空で言えるようになったりするような、気持ち悪い子どもでした(笑)。「せいさんソーダを何グラムいれた」とか、全部言えたっていう。
――小説にはあまり惹かれなかったのですか。
芦沢:いえ、教科書に載っている古典みたいなものも好きでした。芥川龍之介の『杜子春』とか森鴎外の『高瀬舟』のような造形美のある短いものが好きでしたね。O・ヘンリーの「賢者の贈り物」や「最後の一葉」のような、伏線がきれいにはまっていくようなお話を読むのがすごく好きでした。でも児童書に弱いということがちょっと恥ずかしくて...。
――いえいえ、大人が読むようなものを堪能できたってことですよね。
芦沢:背伸びしていたんです。そういうものを読んでいる自分が好き、というか。早めの中二病ですよね。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』とか、ドストエフスキーとかを読んでみて、「私は分かっている」的な顔をしていたんですけれど、たいして分かっていなかったと思います。
この時期は漫画にもすごくハマっていました。2歳年上の兄がいろんな友達と交換して毎週「ジャンプ」「マガジン」「サンデー」の3誌を持ってきて、私が毎月「りぼん」を買い、友達から「なかよし」を借りるという形で読んで、5誌を贅沢に摂取していました。それで『金田一少年の事件簿』をリアルタイムの連載で読んでいたんですが、雑誌だと「真相当てクイズ」があったんですよ。解答編が始まるまでの漫画の中に推理に必要な伏線はすべて提示されているので丁寧に読んで推理していけば分かるはず、という。それで兄と真相を当てる対決をしていました。翌週の発売日まではどうやっても「分からないから答えを見ちゃおう」ってことができず、踏ん張って考えるしかなかったんです。で、それが楽しくなってお互いに漫画とは別に自分の考えたトリックを出し合うようになっていって。自分で考えたといっても『金田一少年の事件簿』の中にあったいろんな物理トリックをちょっとアレンジするだけのレベルなんですけれども。「本当はこの部屋に行ったけれど、扉のプレートを差し替えておいて部屋の誤認をさせた」といったようなものです。
――なるほど。昔はミステリー系の入り口といえば少年探偵団やルパン、ホームズでしたが、若い世代は金田一少年なんだなあと最近つくづく思います。
芦沢:そうなんです、小学生の早い段階から漫画があったので入りやすくて、本格ミステリーの手順というものを知識として知るよりも先に肌で学んだというか。ミステリー作家になってから言われるのが、ミステリーを読んでいなかった人って、問題を出す前に伏線を開示していなければならないとか、地の文で嘘を書いてはならないとか、いろんなミステリーの基本ルールを分かっていないことがあるそうなんです。でも私は自然に真相当てクイズで「今まで読んだ中に絶対ヒントが隠されている」と思って「このコマの意味はなんだろう」と一コマ一コマ繰り返し見ることをずっとやってきて、ミステリーとはそういうものだと馴染んでいたので、それはある意味、ありがたいことかなと思います。
金田一少年以外には、松本洋子さんの『闇は集う』という、「なかよし」で連載されていた漫画も好きでした。死んだ人が成仏するまでの間の魂が集う場所、闇の番人みたいなものがいる場所があるんです。何か未練を残していたり、なぜ自分が殺されたのか分からなかったりする人たちがやって来て、番人が「あなたは生き返りたいですか」「じゃあ、あなたが死んだ後の世界を見せてあげましょう」という。自分の死に向き合う話なんです。
――「なかよし」のような、わりと年齢層の低い少女漫画誌でそういう連載があったとは。
芦沢:それが本当に女同士の嫉妬だったり、誰かに勝つためにずるをした結果だったり、人間の狡さや弱さや欲望が凝縮された話がいっぱいで。少女漫画は恋愛メインのものもいっぱいありましたが、それよりもこうした「人間が面白い」みたいな話が好きでした。
――人間への興味が強いのは、小さい頃からブレてないってことですね。
芦沢:そうですね。同じく人間への興味といえば、かずはじめさんの『MIND ASSASSIN』という、記憶を殺す能力を持った主人公の漫画も好きでした。「ジャンプ」に連載していたのかな。一話完結で、たとえばレイプに遭ってしまった女性の記憶を消してあげるっていう話があるんですけど、それを頼みにきたのが本人ではなく犯人の二人組の男のうちの一人なんです。その男は本当に彼女を好きになってしまって、でも自分の都合が悪いから記憶を消そうというのではなく、「なんであんなことをしてしまったんだろう」と心底悔いていて、彼女を幸せにしたい、彼女を救いたいという気持ちで来るんです。自分は一生このことを覚えていて苦しむべきだけど、彼女の苦しみは少しでも取り除きたい、と。話がすごく深いんですよ。他にも虐待に遭った子どもの話とか、毎回すごくヘビーなテーマが扱われていて、でもセンセーショナルな題材として表層的に扱うんじゃなくて、すごく丁寧に登場人物たちに寄り添っているんです。
――小学生くらいでそんな話を読んだら、かなりの衝撃ではないですか。
芦沢:そういう人間というものを深堀りしていく話が好きだったんです。他には、怪談や都市伝説の本なども読んでいました。犬木加奈子さんのホラー漫画『不思議のたたりちゃん』はなんだか読むのが後ろめたくて、親に隠れてこっそり読んでいたのに、結局怖すぎて親に泣きついたりしていました(笑)。