その1「手塚治虫が原点のひとつ」 (1/6)
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――一番古い読書の記憶といいますと。
真藤:物心つく前の記憶がほぼないんですが、このインタビューの依頼をもらってからウンウン考えまして。『マガーク少年探偵団』(E.W.ヒルディック著)っていうシリーズを愛読してたんですよ。思い出せるのはそのくらいで。
――憶えていますよ。少年少女たちが近所の事件を解決していくという。「あのネコは犯人か?」とかありましたね。
真藤:それです! マガークっていうわがままで破天荒な団長がいて、ワトソン役がいて、おてんば娘がいて、嗅覚のすぐれた鼻のウィリーとかいて。シリーズを続けて読んだのも、ミステリに含まれるものが好きになったのもこの作品が初めてだったんじゃないかな。学校の図書館で借りていたんだと思います。
――東京の品川区のご出身ですよね。アウトドアな子だったのか、インドアだったのか。
真藤:地元は大崎とか五反田のあたりで、インドアだったけど「本の虫」ではなかったですね。おしなべて僕らの世代はそうだと思うんだけど、ちょうどファミコンが直撃しちゃったから。あとはプラモデル。ガンダムとか『魔神英雄伝ワタル』のプラモをごちゃ混ぜにして二つの軍勢に並べて、空想でストーリーをこしらえて合戦みたいなのをやらせてました。今にして振り返れば、もっとミヒャエル・エンデとか『エルマーのぼうけん』とか読んでおけよと思う。もしもその頃、絵本や童話がつぎつぎ焚書にされるようなディストピアな時代が来ていたとしても、僕はまったく気がつかなかったでしょうね。そのぐらい日常が書籍と無縁だったように思います。
――ああ、でも空想したり物語を作るのは好きだったのですね。ほかに漫画や図鑑などの読書体験はいかがでしたか。
真藤:もうちょい高学年になってからは「週刊少年ジャンプ」は読んでました。マガジンもチャンピオンもサンデーも全部読んでいたと思う。それで漫画好きになって、中学ぐらいからドハマりしたのが手塚治虫。「漫画の神様」と呼ばれる人だから読まねばぐらいのきっかけだったのかな。講談社から全集が出ていたり、四六判や文庫でもいろいろ読めたので集めやすかったんです。あのころ片っ端から手塚漫画を読んだのが僕の原体験といえるのかも。物語といっても様々なジャンルがあること、暗いものや怖いものもあれば、魂の燃料になるような人間讃歌もあるということ、創作における基礎教養やドラマツルギーといったものは、手塚作品から自然に学ばせてもらったのかもしれません。
――たくさん作品がありますが、なにが好きですか。
真藤:青年向けの大河モノが好きでしたね。『火の鳥』、『ブッダ』、『陽だまりの樹』、『アドルフに告ぐ』。連作よりも大長編をくりかえし読んだな。『ブッダ』は主人公のゴータマ・シッダルタ(のちのブッダ)の誕生から始まらないのね。ブッダの対極にいるような、荒っぽくて人間臭い不可触民・タッタの話から始まる。のちにブッダの弟子になるんだけど、つまりこの長大な物語はタッタの一代記でもあるんだなと。そういう演出や構成が、手塚センセイ優しいなあというか、惚れぼれするほどかっこいいと思いました。構成ということでいえば『火の鳥』の過去と未来をかわるがわる語っていく形式とかすごかった。どの時代の猿田彦・我王がいちばん幸せだったかとか考えました。僕、誕生日が手塚治虫と一緒なんです。だから、生まれ変わりかなと思って(笑)。
――真藤さんが生まれた時には手塚先生はまだ亡くなってません(笑)。
真藤:(笑)。そういう輪廻転生の縁があるので、自分も漫画家になろうと思いました。かなり上手かったんですよ、特にキャラクターを描くのはとびっきり。同級生3人で数コマずつ順繰りに回して、授業中にこそこそと鉛筆漫画を描いてました。友達が作ったストーリーラインに乗っかりつつ、僕は新キャラばかりを登場させて。すぐに四天王とか六人衆とか出したがるの。「こんなにキャラがいたら収拾つかねえ!」って言われて。とことんボンクラ男子の手すさびでしたね。
――手塚さん以外に好きだった漫画家といいますと。
真藤:全巻を揃えていたなかではっきり憶えているのは、『ジョジョの奇妙な冒険』、『うしおととら』、『寄生獣』。漫画界のレガシーのような作品にハマって、この世界観がいちばんわかっているのは自分だとうぬぼれて。ボンクラ特有の無根拠な自信や承認欲求がすくすくと健康に育っていましたね。