その1「ホラー要素とオカルト要素」 (1/8)
――このインタビューは、幼い頃からの読書遍歴をなめるように聞いていく内容でして...。
葉真中:この何日間か、読書遍歴をまとめておこうとメモをとっていたんですが、これがもう、記憶の蓋が開く開くで...(と、メモの紙を取り出す)。
――わあ、たくさん書きこまれていますね。ありがとうございます。
葉真中:僕、自分のことはそんな読書家とは思っていないんですね。特にこの仕事をするようになって本当に一日一冊読んでいる人が普通にいるんだと知りましたが、僕はそんなに早く読めないので、作家の中では読む方ではないと思っていたんです。でもこうやって読んできた本のことを幼少期から思い出すと、「あ、常に傍らに本があった人生だったな」って。他にも映画とか大事な要素はあるし、そんなに何万冊読んでいるタイプじゃないけれど、それでも僕の人生は本で形作られたんだなっていうのを改めて思いました。なのでインタビューを受ける前ですけれど、自分を振り返る貴重な時間をいただけたかなって思っております。ありがとうございます。
――そう言っていただけると嬉しいです(感動)。では、まず、いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしているのですが...。
葉真中:就学前の字を覚えたての頃に、父親が毎日読み聞かせをしてくれたんです。「まんが日本昔ばなし」の小冊子が全200冊くらいあるんですけれど、あれを1日1冊寝る前に読んでもらっていました。僕はその時代の記憶がほとんどないんですけれど、全冊を3周くらいしたそうです。そうやって物心がつく前に物語を大量インプットしてもらったというのは、もしかしたら文化資本的に今の仕事に繋がる自分を作ったのではないかな、というのはあります。
――では、自分で本を読むようになったのは。
葉真中:自分の意志で読む行為をしたのはたぶん、幼稚園の頃に絵本なんかだと思うんですけれど、明確に憶えているのは小学校に上がってから、小学館の学年雑誌を毎月、おじさんが買ってくれて。
――「小学一年生」とか「小学二年生」とかですよね。
葉真中:そうです。あれをずーっと買ってくれたんですよ。その学年誌で『名たんていカゲマン』っていう、山根あおおにさんという方が描いた漫画が載っていて。ダジャレで推理するような、本当に子供向けの内容なんですが、それがたぶん、ミステリー事始めだったんじゃないかなと。コミックスも買ってもらっていたと思います。
それと前後くらい、就学前後の頃、勁文社が作っていた「大百科シリーズ」とか学研の「〇〇のひみつ」といった、大百科シリーズをよく読みました。小学館から水木しげるさんが妖怪の大百科を何冊か出していて『妖怪なんでも入門』とか『妖怪おもしろ大図解』とか。これが大好きでした。その頃はまだ『ゲゲゲの鬼太郎』を知らなかったんですが、子供だからヘンな妖怪がいっぱい出ているのが面白くて。ひとつ鮮烈に憶えているのが「妖怪きんたま」っていう。
――(一同)えー(笑)。
葉真中:子供はそういうのが大好きですから(笑)。大人になってから、火の玉のことを昔は「きんたま」と言っていたり、お酒のことを「きんたま」って言っていて、それが転じて男性器のことになったと知ったんですけれど。それと、水木さんの大百科には解剖図が載っていたんですよ。人間なら心臓とか肺があるところに、妖怪ならではの、胃がたくさんあったり、変な「ナントカ袋」があったりして、そういうのもドキドキしました。
――東京都生まれだそうですが、どちらだったのでしょう。
葉真中:多摩の方です。もうずっと東京の西側に住んでいます。
――振り返ってみて、わんぱくな男の子だったのか、それともおうちで本を読むのが好きな子供だったのでしょうか。
葉真中:やっぱりインドアですかね。ただ、わりと子供の頃は同調圧力に弱いタイプで、本当は嫌だったけれど仲間外れになりたくなくて、外でゴムボールで野球をやったりもしていました。運動神経はあまり良くなかったので、本当は家で漫画や本を読んだりテレビを見たりするほうが好きだったかなと思います。小学校の頃は完全ソロプレイはあまりしていなくて。一人でいろいろするようになるのは、もうちょっと大人になってからでしたね。
――テレビや漫画というと、その頃はどのようなものを。
葉真中:テレビはアニメをよく見ていました。それと、テレビ朝日でやっていた「パオパオチャンネル」とか、もっと幼い頃だと「ポンキッキ」とか。小学生になってからは漫画をよく読むようになりました。その頃うちの近所にコンビニと図書館ができたんですよ。コンビニで漫画を読んで、活字の本は図書館で読むのが子供ながらのライフスタイルになりました。子供だからって言い訳していいのか分からないけれど、コンビニでは店員さんが煙たがっているのを無視して、「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」「チャンピオン」という4大少年誌を全部読んでいたかな。追い出されなかったし、僕以外にも読んでいる人がいたので、そういう時代だったのかもしれません。「ジャンプ」全盛時代ですから、掲載されている漫画がアニメになってそれを見るパターンがすごく多かった。『Dr.スランプ アラレちゃん』とか、『キン肉マン』とか。「ジャンプ」じゃないけれど『ドカベン』も再放送だったと思うんですけれど見て、アニメも漫画も好きでした。もちろん『ドラえもん』や『サザエさん』も見ましたね。あとそうだ、テレビ番組といえばオカルト。小学校時代の真ん中あたりから、妖怪好きからの影響かもしれないけれど、すごくオカルトに興味が湧いてきて。夏休みとかに必ずやる「あなたの知らない世界」を見ていました。それで、新倉イワオさんという、その番組を構成されている方の本を図書館で借りて読んだりしました。他に、水木さんの大百科の後で『ゲゲゲの鬼太郎』を読むようになって。KCコミックス版はまあまあソフトなんだけれど、その前身の『墓場の鬼太郎』とか、『新ゲゲゲの鬼太郎』はハードな話が多くて、ちょっと哲学的だったりもしましたね。それと、つのだじろうさんの『うしろの百太郎』とか『恐怖新聞』なんかも好きでした。
――不思議な話や怖い話が好きだったのですね。
葉真中:幽霊みたいな話も好きだし、不思議な話だと思ったら人間がやってました、というミステリーチックな種明かしがある話も、両方好きでした。だから今の言葉でいうと、ホラーとミステリー、両方の要素がこの頃から好きだったんだなと思います。オカルト好きとしてよく憶えているのは、家に五島勉さんの『ノストラダムスの大予言』があったので、怖いけれど読まずにはいられず、読んで不安になっちゃって。はじめて読んだ時、僕、泣いたらしいんですよ。
それと、小学校高学年で「週刊少年マガジン」で『MMR』というのが始まるんです。「マガジンミステリー調査班」ですね。ノストラダムスの大予言とか、その手の話がまことしやかに描かれている。今はもう「MMR」ってネットスラングになっていますが、当時の僕はもう真に受けて、「マガジンですごい漫画が始まった」と思っていて。あれは後に大編集者になる樹林伸さんをモデルにしたキバヤシっていうのが隊長で、毎回「これを調査するぞ」といってその手の話を断定口調でガンガン攻めて紹介していて。悪の秘密結社みたいなのが世界中にいくつもあるとか、宇宙人がキャトルミューティレーションをやっているとかを読んで、僕は「こんな陰謀があるんだ!」「そうだったんだ!」って。こういうのを「ビリーバー」って言うんですよ。僕、完全にビリーバーの道を歩み始めていました。
――1999年に自分は死ぬんだって思ってました?
葉真中:そう、そうです。ノストラダムスの他にもイナゴの大群がどうしたとか、世界中の海が干上がって魚がどうこうとかで、地獄が出現するといった黙示録的な要素があって。自分が死ぬことももちろん怖いんだけど、世界に地獄が出現するってことが怖かった。しかも、僕が小学生の頃だとまだ冷戦構造があったので、世の中に核戦争の恐怖がリアリティとしてあったんですよ。子供心にもそれは分かるから、本当にアメリカとソ連が戦争を始めて何かあるんじゃないかとも思っていました。